失敗は成功のもと、成功は失敗のもと何かがおかしいIT化の進め方(49)(2/2 ページ)

» 2011年01月28日 12時00分 公開
[公江義隆,@IT]
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失敗は成功のもと、成功は失敗のもと?

 世の大きな発見や発明において、「失敗やミスと思われたケースの中に、成功のヒントがあった」という話を耳にすることがある。これはどういうことなのだろうか。失敗やミスという通常と異なる状況の中に、「それまでの常識の中にはなかった解決の鍵があった」ということなのだろうが、そこには“普通の人なら見落としてしまうようなこと”への高い感度が感じられる。おそらく、常人を超えたそれまでの努力が「簡単には諦めない」というよりどころになり、鋭い勘を磨き上げる結果になっているのだろう。

 なお、成功の中で“それ行けドンドン”を安易に続けていると、それによる矛盾や問題もまたドンドン蓄積されて行くものだ。この蓄積が限度を越すと爆発する。よほど意識していないと、いつの間にか傲慢な“裸の王様”になってしまう。

 ある日突然発生したように見える大問題も、実は起こるべくして起こっている場合が少なくない。“失敗は成功のもと”と言われているが“成功は失敗のもと”にもなるのである。

日本の”成功“と“失敗”

 明治維新において、日本は西欧型先進国になることを目指して殖産興業、富国強兵策を必死で進めた。先進国への仲間入りの入り口まで来たそのほぼ40年後、日露戦争で大国ロシアに勝ったと有頂天になった。国民には知らされてはいなかったが、当時、膨大な戦費のために国力は底を着いていた。さらにその40年後、大国意識を持った日本は世界の中で孤立を深め、第2次大戦に突入し、敗れた。

 焦土と化した日本で空腹と戦いながら、文字通り寝食を忘れて仕事に励み、また40年後、世界一、二を争う経済大国にまでなった。しかし国内産業の生産性は低く、「JAPAN AS NO.1」はひと握りの製造業に過ぎなかったのだが、それを国民は知らず、“AS”を“IS”と誤解してはしゃぎ、気付かぬうちに傲慢に、怠惰になって行った。“お金が第一”という世相の中で、エリート層からは志や気概が失われて行った。また、敗戦後、東西冷戦の中で、国の安全保障を米国に委ね、ひたすら経済だけにまい進できた代償として、日本人から国家感や倫理観、自立/自律の心が失われて行った。

 このように、日本という国は経済面の成功の裏で、精神面では多くを失う失敗を重ねてきた(ただし、これは“周りがみんなそうなっている”日本の中にいると認識することはなかなか難しい問題だ。ぜひ、日本を外から見る機会を作って考えてみてほしい)。

 さらにその後、バブルがはじけ、効果を生まない経済政策の失敗が続いたが、いまだに同じ失敗を繰り返そうとしている。筆者には、「新しい事態」に「過去の手法」で対処しようとしているように見える。また、バブルはいつかはじけるものだが、これはお金の分野に限った話ではない。バブルの特徴は「実態以上の価値を期待し、リスクを軽視すること」である。いまのITに、そんな部分はないだろうか。

「非を認め、反省する」ことが失敗を生かす条件

 冒頭で、過去の失敗は、よく分析すれば、自らを省みる地動説的発想をすれば、宝の山になると述べた。

 最近の日本の民間企業には、不祥事を起こせば早々に非を認め、謝罪する流れができてきた。これは過去の失敗からの教訓だろう。誰にとっても非を認めて頭を下げるのは愉快なことではないが、社会情勢の変化から、そうしなければかえって事態を悪化させ、余計に信頼をなくすと気付いたのだろう。しかし、頭を下げればそれで済むというものではない。必要なのは「本当の反省」だからだ。

 一方で、面子や責任問題への転化を恐れるのだろうか。戦略や施策の失敗については、明らかにされることはいまだに少ない。運営の失敗であるにもかかわらず、構造や環境に問題があるかのような言い訳が目立つ。また政策や施策の立案に責任を負うべき人は、運営に責任を転嫁しがちだ。

 失敗や間違い、ボタンの掛け違えは、早く直せばそれだけ傷も浅くて済むのだが、隠したり、逃げたり、ごまかそうとすれば、つじつま合わせに次々と間違いを重ねるはめになったり、いったん問題が露呈し始めれば、次々と暴露されて行き、傷口をさらに広げる泥沼状況に陥っていくケースが多い。情報化の進む社会で隠し通すということは難しい。逃げおおせたと思っても、それだけ信用を失っているものだ。

 そして何より、過去の反省ができていなければ、同じような失敗や間違いを繰り返すことになる。「本当の反省」とは、「その後の考え方や行動の判断基準を確実に見直しできる水準」まで考え抜くことである。そうすれば、進歩に生かせる経験になる。

もっと、もっと、もっと、考えよう

 日本の閉塞感の背景には、“現実を直視したがらない傾向”があるように思う。これは国や社会、企業組織の問題というより、等しくわれわれ一人一人の意識と覚悟の問題であろう。

 また、「ガラパゴス化」「少子高齢化」などといったキーワードだけで分かったような気になって、そこで思考を止めてしまうのも問題だ。その意思や努力が欠けていたというだけで、“イグアナ”を世界に繁殖させる方法も、きっとあったはずなのだ。やがて多くの国が後を追うことになる「少子高齢化」問題は、その最先端にいるわれわれ日本人が一番考える上で優位な立場にある。この問題の解決に寄与できるIT活用も数多くあるはずだ。

 この20年ほどの間には、企業の現場や大学の教室で多くの若い人との出会いがあった。そんな場でのいろいろな問い掛けに対して、「考えた」と彼らは言ったが、課題が求める内容から見れば、“勝手な思い込み”によって自縄自縛状態に陥っていたり、考えたうちに入らない水準で、思考を止めていたりする例が多いように感じた。

 いまIT関係者に伝えたいのは「自分のことは、自分のやるべきことは、自分で考えよう。それを周囲に知らしめよう」ということだ。借り物の知識で済まさず、自分で「もっと、もっと、もっと、考えよう」。天然資源のない日本では、頼れるものは人材だけなのだから。

 それにしても、ITにとって「成功」とはいったい何なのだろうか? 一人一人がもう一度、突き詰めて考えてみるべきではないだろうか。

profile

公江 義隆(こうえ よしたか)

情報システムコンサルタント(日本情報システム・ユーザー協会:JUAS)、情報処理技術者(特種)

元武田薬品情報システム部長、1999年12月定年退職後、ITSSP事業(経済産業省)、沖縄型産業振興プロジェクト(内閣府沖縄総合事務局経済産業部)、コンサルティング活動などを通じて中小企業のIT課題にかかわる


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