日本にはびこる素人CIO情マネ流マーフィーの法則(26)

経営とIT部門の橋渡しとしてCIOという役職を設ける企業は日本でも増えてきている。しかし実情はITに疎い素人CIOやほかの役職との兼任CIOがほとんどだ。今回はCIOに関する法則を紹介する。

» 2010年05月25日 12時00分 公開
[木暮 仁,@IT]

前回はIT部門の戦略部門化に関する矛盾を論じた。IT部門を戦略部門として活躍させるためには、CIO(最高情報責任者)が経営とITの橋渡しをする最高責任者としてIT部門を適切に指導する必要がある。

 ところが日本の場合、大半のCIOは「I」の素人で、しかも兼任である。これでは対岸(IT)が見えないのだから、満足な橋を架けられるはずがない。どうしてITに疎い素人CIOや兼任CIOが存在するのだろうか。

情マネ流マーフィーの法則その149

財務諸表を知らないとCFOになれない、OSを知っているとCIOになれない


 財務部門出身者が存在しない役員会など想像できるだろうか。CFO(最高財務責任者)の会合で「貸方や借方の区別ができません。IFRS(国際会計基準)など聞いたこともありません」といったら、参加者はどんな反応をするだろうか。

 IT部門は財務部門に似た性格を持つが、はるかに素人に寛容である。1980年代半ばにSIS(Strategic Information System)が喧伝された。ITは企業戦略の武器だから、経営者が直接指揮をとるべきであり、経営とITの双方に高い見識を持つCIOが必要だといわれた。それが「SEあがりをIT部長にするな。IT部長をCIOにするな」という風潮になり、IT技術者の軽視につながった。当時でも現在でもCIO仲間の会合で、「いやぁ、わたしはコンピュータに関しては素人でして……」と挨拶すれば尊敬されるが、「わたしはIT一筋30年になります」などといえば軽蔑される。

 このように、IT部門は反登竜門になり、野心ある社員はIT部門から逃げ出せるよう努力した。それが四半世紀続けば、役員の中にIT部門出身者が一人もいない企業が多いのは当然である。役員全体にIT部門出身者が少ないのだから、CIOがIT素人なのもうなずける。

情マネ流マーフィーの法則その150

IT部門の会議ではIT用語が禁止、IT部門以外の会議ではIT用語が氾濫


情マネ流マーフィーの法則その151

IT部門の会議では、門外漢の意見が最重要視される


 ITはほとんどの業務に密接しており、各部門の担当者クラスではITが必須知識になっている。それを知らない上位者は話題に入れてもらえない。CIOになった人も同様だ。

 IT部門の会合で、素人CIOが、「皆の意見はIT部門の発想だが、ユーザー部門は……」と言えば、それまでの議論はすべて無価値になる。本当にユーザー部門の意見かどうかや議題が何であるかは関係ないのだ。ユーザーを経営に置き換えてもいい。あるいは、部下の発言に反論するには、内容に関係なく「そんなわけの分からない英略語を使うから、経営者やユーザー部門に受け入れられないのだ」と一喝すればよい。素人CIOはこのタイミングさえ習得しておけば、IT部門に対してガバナンスを確立できる。

 経営者からITの成果が得られていないことを追及されたときも、「IT部門の連中は専門バカで……」と言えばよい。経営者もCIOと同様にITオンチなので、それ以上の追及から免れる。すなわち、CIOは素人でも務まる典型的な職務なのだ。

情マネ流マーフィーの法則その152

CIOの人選は、業務能力ではなく部下の数で決まる


 CIOの職制を導入している企業は多い。しかし、大部分はほかの役職との兼任であり、CIO業務に当てている時間は1割以下という場合も多い。CIOは「そのほかの業務」なのである。

 役員の職務を決めるプロセスは、マーケティング担当、財務担当など重要(と経営者が思っている)な職務から行われる。優先順位が低いIT担当は、ほかの担当を割り当てた後に生じるパワーバランス(具体的には部下の人数)を調整するプロセスで決定する。そのため、必然的に兼任CIO、素人CIOが生まれるのだ。

情マネ流マーフィーの法則その153

CIOは「ピーターの法則」の終着段階到達者に適切な職位である


 「ピーターの法則」とは、階層社会においてその構成員は最終的に能力を超えた階層にまで上り詰める結果、すべての職務が無能者により担当されるというものだ。CIOは公式には花形職種であるが、実際にはITの素人でも務まるし、周囲も活躍を期待していないので、終着段階に到達したと自覚していない者が安心して従事できる格好な職務だといえる。

 経営陣の中には「経営もITも分かっていないが、過去の業績あるいは人脈を考慮すると、経営から排除するのは忍びない」という役員がいる。このような場合には、専任のCIOに祭り上げるのが適切である。


CIO人物像の弁証法的変化

 米国礼賛はIT評論家のマナーなので、米国CIOを礼賛しよう。米国では経営とITの両方に専門知識を持つプロフェッショナルなCIOが多い。その背景には次の経緯があったからである。

[正] SIS時代(1980年代半ば)

 経営的観点からITをマネジメントすることが重視された。その副作用として、ITが軽視され、野心のあるIT部員は、ITマニュアルをゴミ箱に放り投げ、机上に経営書を積み重ねるようになった。日本と同様に、素人CIOが多かった。

[反] ダウンサイジング時代(1980年代末?1990年代初頭)

 不透明なオープン系の技術動向に対して的確な方針を示すのに、素人CIOは不適格である。そこでIT動向に高い見識のあるCIOが求められた。

[合] インターネット時代(1990年代後半?)

 IT戦略が企業の浮沈にまで関係するようになり、CIOには、経営とITの双方に関する高い知識能力が求められるようになった。その結果、専門家としてのCIOが出現した。最近では、CIOがCEO候補となる例もあり、CIOが魅力のある職務になってきた。


 これに対して日本では、SISには反応したものの、ITを重要とする認識は低く、ダウンサイジングに対する問題意識がなかった。インターネット時代に入り、CIOの必要性が再度喧伝されるようになったが、プロのCIOは育成されていない。形式的にCIOの職制を設けたが、疑似CIOになるのは仕方がない。

著者紹介

▼著者名 木暮 仁(こぐれ ひとし)

東京生まれ。東京工業大学卒業。コスモ石油、コスモコンピュータセンター、東京経営短期大学教授を経て、現在フリー。情報関連資格は技術士(情報工学)、中小企業診断士、ITコーディネータ、システム監査など。経営と情報の関係につき、経営側・提供側・利用側からタテマエとホンネの双方からの検討に興味を持ち、執筆、講演、大学非常勤講師などをしている。著書は「教科書 情報と社会」(日科技連出版社)、「もうかる情報化、会社をつぶす情報化」(リックテレコム)など多数。http://www.kogures.com/hitoshi/にて、大学での授業テキストや講演の内容などを公開している


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