コンピュータが業務で利用されるようになって50年近くがたつ。その過程において、ハードウェアやソフトウェアは驚異的に進歩したが、それに反比例するかのように、利用する人間側が“考えること”を止めてしまっているようだ。今回は、省脳力化に関する法則を紹介する。
ここでは、パソコンを使うようになり漢字が書けなくなったとか計算能力が低下したなどではなく、人間の特徴である「考える」ことをしなくなったことを対象にする。近年、BI(ビジネス・インテリジェンス)が注目されているが、現実にはBIはビジネスのインテリジェンスを低下させるように作用するのだ。
コンピュータ利用が普及すると、得られる情報は少なくなる
社長が担当者に「あの商品の売上状況はどうだい?」と聞いたとき、昔は「300万円程度ですね」と即座に答えることができた。ところが最近では、コンピュータをいじり始め、10分後に「312万1764円です」と報告する。ターンアラウンドタイムがあまりにも長いため、社長は、報告を受けたときには「何を何のために聞いたのか?」を忘れている。
どうして、担当者は即答しなくなったのか? システム化により、担当者はデータ処理に直接関与しないので、そのような常識を失ってしまったからである。また、「カンからデータへ」の文化が普及したので、300万円“程度”だとは知っていても、正確な値を言うべきだと考えるからである。
近年では、社長はBIからこのような数値を自分で知ることができる。
ここで、予期した値と異なる値が得られたとする。当然、その理由を知りたくなる。担当者が常識を持っていた時代では、担当者は「キャンペーンをしたから」とか「競合他社が出店したから」など、いくつかの理由を列挙することができた。
ところがBIの場合、その理由を理解するためには、かなり複雑なシステムを組み込んでおく必要がある。売上状況のような定番ものはともかく、アドホックな質問に適切な情報を提供するBIを構築するのは大変だ。
サンプル調査における「600の法則」「1500の法則」
データマイニング、データウェアハウス、BIなど、多様な切り口で検索加工する利用形態が発展してきた。それらの多くは、基幹系システムで収集蓄積した全数データをベースにしている。このように、「全数調査をした」と言うと信頼性が高いように思われるが、むしろ逆なことが多いのだ。
少数のサンプル数でも、信頼性の高い情報が得られることは、推測統計学の教えるところである。ビデオリサーチによる視聴率調査は、サンプルの取り方を工夫しているので、関東地区・関西地区・名古屋地区で600世帯だという。単純無作為抽出で内閣支持率調査などを行う場合も、1500程度で良いことが知られている(この数値はウロ覚えなので間違っているかもしれないが)。
この程度のサンプル数ならば、パソコンに取り込んで多様な加工ができる。それなのに、統計学を知らないために「全数調査をするので超並列コンピュータが必要だ」と言う。
データを洗わないと汚れた統計結果になる(ミソとクソを一緒にするな)
全数調査の愚はそれだけではない。誤った結果に導くことすらあるのだ。
科学実験の分析では、他の要因を除去した環境で得たデータを利用すること、異常値のデータは除外するか別扱いにすること、すなわち「データを洗う」ことが重視される。
需要予測をする場合、「たまたま大口取引があった」とか、「キャンペーンをした」などのデータも含まれており、それらの要因を調整する必要がある。逆に言えば、売上実績を需要予測に用いるならば、それに影響を与える要因の記録も取っておく必要がある。
また、売れている商品と売れない商品の違いを検討するとき、データの大多数を占める中間的な商品を入れて分析したのでは、中間商品に引きずられてしまい、特徴が薄められてしまう。
省力化よりも省脳化
コンピュータがビジネスに利用されるようになった1960年代では、OR(オペレーションズリサーチ)が注目された。線形計画法や多変量分析などの手法は従来から知られていたが、手作業では不可能であった。それが、コンピュータにより実際に利用できるようになったのである。
当時の利用者は、それらの手法の数学的意味を十分に理解していた(理解する必要があった)。また、当時のコンピュータは高価で性能が低く、何度も計算させることができないため、1回の計算で「骨までしゃぶる」ことが必要だった。そのため、モデルの作成や解の吟味など“考えること”が重視されていた。
ところが、ハードウェアの性能が高くなると、これらの計算はむしろ小規模処理だと考えられるようになり、場当たり的に計算することが可能になった。また、ソフトウェアが使いやすくなり、手法の数学的意味を理解しなくても、計算結果が容易に得られるようになった。しかも、操作が容易なこと、多様なグラフが出力されることなど、本質とは異なる方向に進んだ。
それとともに、“考えること”が軽視されるようになってしまった。
例えば石油産業では、線形計画法は日常的に用いられているが、単に数量バランス計算として使われるだけで、レジューズドコストやレンジなどの概念は忘れ去れて吟味されなくなっていることもある。手法の矮小的利用だといえる。
また、アンケート分析などでは、クロス分析や多変量解析をすれば、数枚のグラフで足りるのに、そのような方法があることを知らずに、全ての項目を単純集計したグラフを添付して、膨大な報告書に仕上げている。また、データの分析を行うことよりも、きれいな報告書を作ることに興味を持つようになった。
本来、このような分野にコンピュータを利用する目的は、人間を計算や作表などの単純業務から解放して、“考えること”に専心させること、考えるヒントを提供することにある。すなわち増脳化が目的なのである。ところが現実には、手法の矮小的利用が進み、省脳化を実現させた。BIはビジネスインテリジェンスを(増加させるのではなく)低下するように作用している。
▼著者名 木暮 仁(こぐれ ひとし)
東京生まれ。東京工業大学卒業。コスモ石油、コスモコンピュータセンター、東京経営短期大学教授を経て、現在フリー。情報関連資格は技術士(情報工学)、中小企業診断士、ITコーディネータ、システム監査など。経営と情報の関係につき、経営側・提供側・利用側からタテマエとホンネの双方からの検討に興味を持ち、執筆、講演、大学非常勤講師などをしている。著書は「教科書 情報と社会」(日科技連出版社)、「もうかる情報化、会社をつぶす情報化」(リックテレコム)など多数。http://www.kogures.com/hitoshi/にて、大学での授業テキストや講演の内容などを公開している
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.