昨年末、AMDイベントなどを通して“兄貴”として親しまれた土居憲太郎氏が日本AMDを退社したことを、いくつかのメディアが伝えた。それから約1カ月後、編集部は土居氏に取材を申し込み、アキバの居酒屋店で久しぶりの再会を果たした。ビール片手に3時間半。土居氏は語れる範囲で前職のことやアキバのこと、自身の“ロードマップ”について話してくれた。
―― 退社されてからは、どんな感じで暮らしているんですか?
土居 今日は「ウィニングイレブン」してから来ました。これまで、デルやHPなどいろいろな会社で働いていましたが、辞めてから次に移るまでの期間が割と短かったので、今回ほど長く休めたことがなかったんですよ。だから、やることも特になく、ウイイレのネット対戦をでよく遊んでいますね。対戦相手が「AnikiZ23」というIDだったら僕です。最近は日中で頻繁に現れますよ(笑)
ただ、旅行は辞めてすぐに北海道に行ったくらいで。就職活動もしているので、あまり長期間は家から離れられないんですよね。
―― 秋葉原に来たのも久しぶりとおっしゃっていましたね。でも、現在就活されているということは、日本AMD退社時は先の予定が決まっていなかったわけですか。
土居 なにしろ急でしたからね。12月にアキバで「赤いRubyと緑のエコロン」をやりましたが、あのときはまだ予測もしていませんでした。あらかじめ決まっていたら、イベントで「これが最後」と伝えていると思います。
―― あ、そうだったんですか。それは予想以上に急ですね。
土居 まあ、いろいろな理由があって……そこの細かいところはなかなか言えないところがあるんですけど(笑)
周囲の人に前もって一言、という時間もなかったですから、退職メールを打ったあとはいっぱいメールをいただきましたね。あと、辞めると決まったとき、日本AMD公式で書いていたブログも閉鎖したんですよ。そうしたら、親からも「ブログなくなったんだけど、どうしたの?」と連絡が来ました。
―― そういえば、退職されたあとにTwitterで「インテルのシステム組もうかな」とつぶやいましたね(笑)。もう組みました?
土居 ちょっと言ってみようかと思って(笑)。実際はまだ組んでいません。というより、別に新しいデスクトップマシンが必要ないんですよ。自宅にPhenom II X4 965 Black EditionとRadeon HD 5870を組み込んだマシンがあって、それをデュアルディスプレイで使っています。あとサブマシンとして2台ありますしね。
ただ、ノートPCは会社から支給されていたのを使っていたので、今は手元にないんです。インテル系を買うとしたらノートPCでしょうね。
―― Twitterで「今、兄貴と飲んでいるけど、何か質問ある?」と聞いていいですか? ……2つ来ました。「円満退社でしたか?」「今は楽しいですか?」
土居 とりあえず、「円満退社ということで(笑)」でお願いします。2つめはそうですね、今は休みが多くてのんびりやってるので、楽しいです。
―― あ、こんなのも来ました。「ikina(※)はどうなるんですか? 義妹?」
土居 ikinaはこのまま盛り上げてほしい(笑)。ikinaの兄貴として応援しています。ああいうことをやってくれるのは、すごくありがたいですね。しかも、ちゃんとボーダーラインのところでストップしてくれる。企業から見て、一線を越えちゃいけないラインっていうのがあるんですけど、それを守ったうえで盛り上げてくれていますから。
※ikina・・・兄貴(aniki)を逆さにした名前のAMD非公認キャラ。T-ZONE.PC DIY SHOPにて、指定のAMD系パーツを購入するとikinaの特製シールがプレゼントされた。有志により、ikinaを名乗るTwitter IDも誕生し、現在も存続している
―― ikinaもそうですけど、土居さん自身が日本HPの秋葉原向けイメージキャラクターを勤めたりされていましたよね。土居さんは秋葉原電気街にとってかなり重要な存在だと思うんですよ。だから退職はかなり衝撃的でした。
土居 日本HPのあれは、ぼくのチームの人間が日本HPの人と意気投合して、知らないあいだに決まっていたんですよ。でも、そういうふうに使ってもらえたことは、本当にありがたいです。ぼくの退職を伝える記事をいくつか読みましたけど、たかだか一企業の製品担当が辞めたところでニュースになること自体異常じゃないですか。
―― そういう存在になったのはかなり前だと思うんですけど、アキバのユーザーイベントに参加するようになったのはいつごろなんですか?
土居 日本AMDには4年いたことになるんですけど、入社して1カ月後に「イベントやるから土居さん64ビットについて話して」と言われましたね。もう、何を言ってるの、と(笑)
そのころ、PCパーツショップさんの店頭でイベントをやらせてもらようになっていまして。最初は週末に1日3回くらいセッションを回すスタイルで、そういうスピーチのスペシャリストである佐藤さんにお願いしていたんですよ。佐藤さんは話がすごくうまい。だけど、たまに過激なことを言ってしまうので、AMDの社員も出ようかとなり、セッションの1回だけゲストとして僕が出ることになったんです。そのとき、佐藤さんが普通に「土居さんよろしく」って紹介してくれればいいのに、「じゃあ、兄貴お願いします」とアドリブで言って。そこから「兄貴」という呼び名がついたんですね。
―― 広報でキャラを立てていくというのは、最初から狙っていたわけじゃなかったんですね。
土居 もう全然。それからカフェソラーレ リナックスカフェで単独イベントをやるようになった。その際、本社に数個しかないサンプルを貸し出してもらえたりと、けっこう恵まれた環境でやらせてもらいましたね。日本は自作パーツの平均販売価格(ASP)が世界一高いので、本社も積極的に協力してくれたんだと思います。「赤いRubyと緑のエコロン」や「DIY PC Expo 2009」の際に6画面フルHDディスプレイを公開しましたが、それをやれたのは日本だけですから。そういうバックアップもあって、多数のプレスさんに取材してもらえるようになって、本当にありがたかったです。
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