新型デバイスが切り開くメディアとコンテンツ産業の未来(後編)(2/2 ページ)

» 2010年05月25日 10時00分 公開
[小林雅一(KDDI総研),ITmedia]
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新たな出版ビジネスをめぐる争い

 ここまで紹介した事例からは、iPadに代表される今後のメディア端末上では、プリントメディアが単なる活字コンテンツを離れ、映画のような総合芸術と化す兆候が見て取れる。これまで活字コンテンツ、特に書籍や雑誌記事などは作家や記者による個人的作業が中心であった(もちろんビジネス全体を見渡せば、カメラマンから編集者、マーケティング、販売担当者まで含めた共同作業だが、ことコンテンツ中核部分の制作については作家個人の占める比率が大きい)。しかし今後、そうした単独作業からなる活字コンテンツの割合は減少し、さまざまな分野の人間による共同作業の割合が増加して行くだろう。

 となると当然、活字コンテンツの制作コストが増すという懸念が生じる。実際、上記デモで紹介したようなマルチメディアコンテンツにした場合、その製作費は雑誌1冊当たり数十万ドルに上る、との見積もりもある。米国のプリントメディアはこれほど高コストのコンテンツを、どのようにして利益の出るビジネスに仕立てるつもりなのか?

 答えを先に言ってしまうと、その点については、あまり深く考えていないようだ。今のところ彼ら、特にクリエイティブサイドの人達を突き動かしているのは、iPadや電子ブックリーダーのような新型端末がもたらす潜在的な表現能力である。「これを使えば、従来とは違う斬新なコンテンツを製作できる」という職人的な期待感だ。しかし実は、これは本末転倒である。なぜなら、そもそも新聞社や出版社がiPadに並々ならぬ期待を寄せるのは、それが構造不況を抜け出す手段、つまり新たなビジネスモデルに結びつくかもしれないからだ。しかし少なくとも現時点では、その具体像は見えず、その代わりに存在するのは、以下のように大雑把な希望的観測のみである。

  1. (タブレット端末や電子ブックリーダーなど)十分なスペースを持ったディスプレイでは、従来の新聞や雑誌に勝るとも劣らないビジュアル性を実現できる。また従来の携帯電話では無理だった本格的なモバイル広告も可能となる。
  2. これまで新聞や雑誌のWeb版にはお金を払わない読者も、携帯電話のようなモバイル端末向けに提供されるコンテンツにはお金を払ってきた(日本と同じく米国でも、携帯ユーザーは音楽配信やゲームなど少額コンテンツにはお金を使う。そこには携帯通信キャリアの課金認証システムが大きく貢献している)。同じくモバイル端末のタブレットや電子ブックリーダーに向けて優れたコンテンツを開発すれば、ユーザーは喜んでこれを買ってくれるはずだ。

 いずれももっともらしい理屈だが、要するに米国の新聞社や出版社は、ここ数年のIT業界で次々と大成功を収めているAppleやAmazonのオーラ(勢い)に乗じて、低迷する自身のビジネスを立て直し、新しい姿に生まれ変わろうと考えているのだ。

 が、その一方で彼らは、こうしたIT企業に対して警戒感を抱いている。それは従来、新聞社や出版社が握ってきた顧客との直接コンタクト(つまりユーザーの個人情報や購買情報)、ひいてはビジネスの主導権までもIT企業に奪われてしまう恐れがあるからだ。例えばAppleが運営するオンラインマーケットの「iTunes」では、ユーザー情報はAppleが掌握している。米国の主要出版社はユーザー情報(読者データ)の開示・提供をAppleに求めているが、同社が今後それにどこまで応じるかは不明だ。少なくとも消極的であることは確かだ。

 新聞や雑誌のような出版業界では、読者データが最も貴重な財産である。なぜなら読者データに基づいて購読契約の延長や販売プロモーションができるし、新たな媒体の開発も可能になるからだ。こうしたビジネスの中核をAppleに握られてしまえば、たとえiPadによって当面の売り上げが改善したにしても長期的な成長は望めない。

 同じくAmazonに対しても、米国の出版業界は警戒感を解いていない。Amazonはつい最近まで、Kindle向け電子書籍の小売価格をほぼ一律9ドル99セントに設定していた。こうした一種のディスカウント価格については、従来の紙の書籍との価格差をAmazonが出版社に対して補てんしてきたので、これまで出版社は利益を出し、Amazonはむしろ損失を被ってきたとみられている(Amazonはそこまでして電子ブック事業を軌道に乗せたかったのだ)。

 しかし商品の価格決定権はあらゆるビジネスの基本であり、そこをAmazonに握られたままでは、出版というビジネスが一体誰のものか分らなくなってしまう。このため米国の出版業界では、大手5社の一角「Macmillan」がKindleへのコンテンツ提供をボイコットするなど、抵抗姿勢を示してきた。その後、AppleがiPadをリリースしたのに伴い、これに出版業界がなびくのを恐れたAmazonは結局、電子書籍の価格決定権を出版業界に譲り渡す方向に動いている。が、その一方で、作家と直接、電子出版の契約を交わしたり、Kindleを使って自費出版する個人を広く募るなど、出版社をバイパスする姿勢を覗かせている。

 結局、AppleやAmazonなどのIT企業は、従来の出版業界を差し置いて、自分自身がデジタル時代の出版社になろうとしているのではないか。こうした恐れを抱いた米国の出版業界は、Wall Street Journal紙を発行するNews Corporationを中心に、独自の電子出版プラットフォームを提供するコンソーシアム「Next Issue Media」を結成した。日本でも今年3月、主要出版社31社が電子書籍の技術規格などを検討する「日本電子書籍出版協会」を設立したが、これも米国と同じ流れと見てよい。

大口の広告主も動き出す

 期待と不安がない交ぜの状況ながら、米国のプリントメディアは新型デバイスへの対応を開始した。例えば新聞では、New York Times、Wall Street Journal、USA Todayなど主要紙のほとんどが、iPadの販売開始と同時に、そこに向けたコンテンツを提供し始めた。それに比べると雑誌の出足はやや遅い。TIME誌は早々にiPad版コンテンツを提供し始めたが、同じくTime社のSports Illustrated誌は6月、People誌は8月にiPad版を出す予定だ。いずれもコンテンツを閲覧するためのアプリは無料でユーザーに提供し、その後は有料で定期購読させる。例えばTIME誌は1号当たり4ドル99セント、Wall Street Journal誌は月額17ドル99セントである。

 広告主も動き出した。FedEx、米国トヨタ、Fidelityなどの大口広告主が主要プリントメディアのiPad版上での広告枠を購入している。広告料金のレートは明らかにされていないが、New York Timesの報道によれば、掲載期間が2、3カ月間の広告枠が7万5000ドル〜30万ドル程度とみられる。現時点では、従来のCPM(読者1000人当たりに幾ら、という計算の仕方)のように、標準的な請求システムが確立されていないので、一定期間の定額制が採用されている。

 さらにApple自身もモバイル広告ビジネスに参入した。4月8日にお披露目された「iPhone OS 4」には、「iAd」というモバイル広告サポート機能が組み込まれている。これを使ってアプリケーション開発業者(そこには新聞社や出版社のようなコンテンツプロバイダーも含まれる)は、自ら開発したアプリ上に表示される広告を製作することができる。ただし、その場合にはアプリ/コンテンツプロバイダーは広告収入の40%をAppleに差し出さねばならない。このため、例えばNew York Timesやタイムのような大手業者は、iAdに関心を示さない。これを利用するのは、むしろ自力でインタラクティブ広告を製作できない中小業者になるとみられる。当面iAdは今年6月に登場する次世代iPhone向けに提供されるが、今年中にはiPadにも対応する予定だ。

マルチデバイス対応のクラウド型サービスに向かう

 以上のようにさまざまな面で、デバイス主導のメディア革命は進んでいるが、その先に見えるのは何だろうか? これを予想する上で参考になるのは、やはりAppleの動きだ。

 同社は昨年12月、「LaLa」と呼ばれる音楽サービス企業を8500万ドルで買収した。この会社はこれまで、インターネット上で音楽ストリーミング・サービスを提供してきた。New York Timesなど米主要メディアによれば、AppleはLaLaが培った技術を使って、iTunesを現在のコンテンツダウンロード型から、いずれは音楽ストリーミングを中心とするサブスクリプション型サービスに切り替える意向とみられる。サブスクリプション型とは、例えば音楽を1曲ごとにダウンロードしてその代金を払う代わりに、月額幾らと決めた上であらゆる音楽をストリーミングで聞き放題にするサービスだ。この場合、ユーザーが所有する端末のハードディスクには何も残らない。

 なぜ、これまで大成功を収めてきたiTunesをそのように変える必要があるのか。そこにはAppleが思い描く次世代メディア/コンテンツ産業のビジョンがある。つまり電子ブックリーダーやタブレット、あるいは携帯ゲーム機やスマートフォンなどさまざまなデバイスを使って、これからのユーザーは音楽、映像、活字、ゲーム、さらにそれらが融合したコンテンツを楽しむようになる。つまり1人のユーザーが異なる場所や状況に応じて異なる情報端末を使いこなす時代、いわばマルチデバイス時代の到来である。

 このような状況では、異なるデバイスの記憶装置に各種コンテンツ(データ)を保存して使うのは不合理である。なぜならデータをダウンロードあるいは更新する場合、いちいち全てのデバイスで同期をとるのは面倒だし、往々にして間違いや操作忘れが生じるからだ。むしろサーバに置かれた中央データベースに各種コンテンツを保存し、そこにユーザーがモバイルインターネット経由でアクセスする方法が適している。いわゆるクラウドコンピューティングの仕組みを、メディア/コンテンツ産業にも応用しようとしているのだ。

 やはりNew York Times紙によれば、AppleはiTunesのクラウド化を早ければ今年中には実施する予定だ。その場合、いきなりサブスクリプション型に切り替えるのではなく、最初はユーザーがこれまでアイチューンズから購入した音楽コンテンツを、まずはAppleのサーバに移行させ、これをモバイルインターネットでアクセス可能にするところから始める模様だ。

 ここまで計画が具体化しているとすれば、Appleは音楽レコード会社との間でライセンシング交渉も進めているはずだ。現時点で彼らがどこまでAppleのビジョンに賛同しているか定かではないが、Apple主導でレコード業界側はそれに引きずられている感は否めない。結局、日米の出版業界がKindleやiPadに対し警戒感を緩めないのは、この点に起因している。これからのメディア/コンテンツ産業を形作って行くのは、どう見てもIT業界であり、それは抗いようのない事実として彼らに突き付けられているのだ。

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