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» 2013年11月11日 13時00分 UPDATE

小寺信良「ケータイの力学」:なぜ子供たちはつながりたがるのか(2)

かつてのような絶対的な正義や価値観が崩れ去った現在、子供たちは、常に誰かの視線を指標に生きている。それ故、ひとりぼっちを最も恐れているのではないだろうか。

[小寺信良,ITmedia]

 前回から引き続き、筑波大学 大学院 人文社会系 教授の土井隆義先生のご講演を参考に、子供とネットの関係を考える。

 前回は、大人の考え方の変遷から、子供たちの友だちとのかかわり方に変化が出てきている事を指摘した。すなわち、状況に合わせて考え方や行動を変えるよう、世の中全体が変わってきた、というわけである。

 このような社会変化から、自分の立ち位置、あるいは進むべき方向を知るための方法論が変わってきたのではないか、と土井教授は指摘する。

 例えば船舶の航法システムを考えてみると、かつては地球ゴマの原理を応用したジャイロスコープが用いられていた。周囲からの影響を受けない軸を頼りに、現在位置と進むべき方向を割り出していく。

 かつて“生き方”とは、そういうものであった。絶対的な正義、価値観、信念、そういう動かない軸を頼りに、人は自分の信ずる道を歩んでいった。“他人にとやかく言われる筋合いはない”という言葉の裏側には、信念に対してリスクを取る覚悟があるという意味でもあった。

 ところが80年代のバブル期、そして“失われた20年”の間に、終身雇用も過去のものとなり、安定した職業が成立しなくなるといった産業変化が起こった。従順に決められた一定のタスクを、同水準でこなせる大量の人員という、いわゆる“工員”のような人材が、必要なくなってしまった。

 これはすなわち、人生におけるジャイロスコープの喪失である。勤勉でさえあれば、大過なく人生幸せに過ごせる時代が終わった。その結果、何が幸せなのかを求めて、多様な生き方が肯定される社会へと変質していった。

 当然教育も、社会が求める人材を輩出するために、変わらざるを得なくなる。個性を重視し、多様性を許容する教育。ゆとり教育とは、本来そのようなものであるはずだったが、なぜか基本的な学習や常識をすっ飛ばしてしまう人材が輩出されてくるようになり、慌てて社会がその方向を止めにかかったのが、現在の姿である。

 近年ジャイロスコープに変わって航法システムの中心となっているのが、GPSだ。自分から遠く離れた3点を基準に、自分の位置を割り出し、向かう方向を決める。

 実は生き方も、そういう方法論に変わっているのではないか。絶対的な価値観の喪失、加えて2000年前後からインターネットの発達により社会は急速に情報化し、日々大量の情報が降り注いでくる。その結果、人生においても周囲の情報や評価で自分の立ち位置を測定するという、GPS的方法しかできなくなっていった。

 まさにこのような考え方の変化が子供を直撃しており、学校内という狭い人間関係の中で、GPS的位置測定を行なわなければならなくなっているのではないか。

“島社会”がもたらす弊害

 しかし、周囲の友だちが絶対的な位置を示す定点であるとは限らない。友だち自身も周囲の状況に合わせて、立ち位置がどんどん変わるのではないだろうか。この互いが寄りかかっている不安定さが、子供たちの人間関係にも影響を与えている。

 今の学校では、学級内で“島”を作っているという指摘が以前からあった。つまり、仲のいいもの同士で強固なグループを作り、グループ同士は互いに干渉しない社会である。社会学者の宮台真司は、1994年という早い時期に「制服少女たちの選択」の中で、「社会の島宇宙化」という言葉でこれを表わした。

 3人から5人程度からなる島の中では、自ずとそれぞれの役割が決まる。リーダーシップをとる子はいつも同じだし、元気担当、不思議ちゃん担当、いじり役、いじられ役といった配役がその中で割り振られ、子供たちはその割り当てられた配役を、あたかも完成されたジグソーパズルのピースのように、否応なしに演じる事になる。そうしないと、接近した人間関係が不安定になりすぎるからであり、GPSが機能しなくなる。すなわち、自分のポジションが見えなくなってしまう。

 昔はクラスの中に、一匹狼的な人物が1人や2人は居たと思うが、彼らは人間関係を強要されることを嫌った結果、そうなっていた。今はそのようなあり方を“ひとりぼっち”と呼ぶ。すなわちそれは、島という社会から排除された結果であり、子供たちがもっとも恐れるポジションである。

 そうならないために、外向けのキャラを演じ続ける必要不可欠なツールとして、LINEが存在する。最近聞かれるようになった“LINE外し”は、島社会で構成されるグループチャットから1人だけを排除する。グループ内の子は“いじってる”つもりかもしれないが、いじられた当人はたまったものではない。

 なぜならば、本来いじられるような性格ではない子がそういうキャラに割り当てられている可能性は非常に高いからである。だいたい、いじられても平気なメンタリティというのは、大人でもかなりの修羅場を潜った後でなければ形成されず、生まれつきということはあり得ない。

 一方でそのような狭く固定化された人間関係が継続していくと、精神的なバランスを欠いてゆく。すなわち、本質ではないかもしれないキャラを演じなければならない重圧ゆえに、外面と内面が分離してゆく。

 本当の自分は、どこにあるのか。本来の自分とは、何なのか。今の子供が必要とする絶対的な価値は、これからどこへ行くのか、ではなく、自分はどこから来たのか、に向かっている。

 そして自分探しのために、学校のグループ外の世界で、指標となるGPSを求めて、さらにどん欲に人間関係を求めて行くことになる。

小寺信良

映像系エンジニア/アナリスト。テレビ番組の編集者としてバラエティ、報道、コマーシャルなどを手がけたのち、CGアーティストとして独立。そのユニークな文章と鋭いツッコミが人気を博し、さまざまな媒体で執筆活動を行っている。最新著作は、ITmedia Mobileでの連載「ケータイの力学」と、「もっとグッドタイムス」掲載のインタビュー記事を再構成して加筆・修正を行ない、注釈・資料を追加した「子供がケータイを持ってはいけないか?」(ポット出版)(amazon.co.jpで購入)。


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