情報システム部は、もう役割を終えてしまったのか?何かがおかしいIT化の進め方(24)(2/2 ページ)

» 2006年03月31日 12時00分 公開
[公江義隆,@IT]
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新しい技術に目を奪われ、普遍的な知識やノウハウまで捨てた?

 1990年代に入り、メインフレーム中心からパソコンやUNIXサーバへの大きな転換が始まった。コンピュータメーカーが決めていたハードとソフトの構成(技術アーキテクチャ)を、コストや選択の多様性との引き換えにユーザー自らが考えざるを得なくなったのだ。自社のアプリケーションの動向や、IT業界の動向・力関係などをも踏まえたデファクトスタンダード化の見極めなど、技術とビジネス両面に通じた評価の能力が求められるようになった。

 当時の情報システム部門には、ベテランを中心にパソコンを軽視/敵視する人が多かった。そのため、システム部員はパソコンの普及が急速に進む中で後れを取り、ユーザー部門のパソコンマニアなどにうまく対処できなかった。このことは、実際はささいなことであっても、一般社員の目に情報システム部門の技術力に対する疑念を抱かせる結果となった。

 システム開発にも、新しい考え方や取り組み方法が必要になったのもこのころだ。メインフレームにかかわるもの一切合財が古いものとして、これにかかわってきた人をも含めてレガシーとして疎んじられることとなった。長年にわたって培われ/蓄積されてきた管理技術やシステムの構成法といった、将来も有用かつ有効であろう技術やノウハウが、人とともに捨て去られてしまい、結果として20年前に逆戻りしたのと同じような状況になってしまった。

 1990年代も半ばになると、グローバライゼーションとともにITブームが米国から上陸した。パソコンやインターネットが急速に世の中に浸透していく中で、これに続いて、米国発のIT活用によるうまい話や、ドットコム神話がどっと押し寄せてきた。これに、千載一遇のチャンスとITベンダやコンサルタント、研究者が飛び付いた。そして、メディアはこれをはやし立てた。

 企業の経営者は「わが社は一体どうするのか?」と配下の情報システム部門に聞いてみるものの、まじめな技術者集団にはこの問いに、政治的にもうまく対応できなかった。結局この質問は、経営企画など“計画をまとめることはお手の物”の部門に回された。見事にまとめられたペーパープランは、「難しい」という情報システム部門ではなく、「何でもできます」という外部のコンサルタントや、「何でもやります」というITベンダに託された。そうして結局、動かないシステム、役に立たないシステムにかなりのお金が使われていった。

経営の要請の中、業務(ユーザー)とシステム化技術(自部門)の現場を捨てた?

 2000年代、「世の中にうまい話はない」や「理にかなわぬものは長続きはしない」という常識は、IT分野でも例外ではないことを皆が知った。ITバブルがはじけ、雨後のたけのこのように乱立していたドットコム企業の多くは自己崩壊した。ITに対する過大な要求は少なくなったが、期待感も大きく低下した。

 多くの企業で経営改革がトップダウンで進んだ。業務改革のツールとしてITが位置付けられ、情報システム機能も中央集権化した。IT組織は企画機能が経営企画室など、経営に近いところに置かれ、経営とIT企画の整合性は改善された。

 経営改革はコアコンピタンスへの経営資源の集中を伴い、コア機能ではないIT組織はリストラの対象となった。そして、情報子会社への分社や、さらに売却といったケースも増えた。現業部門を手放し企画や戦略機能だけになったIT部門は、問題を具体的なレベルで把握する能力やノウハウ、業務現場との人脈を失いつつある。

 そして、ITの現場業務のアウトソーシングが大幅に進んだが、この管理が十分できているのかが懸念されるようなトラブルが、マスコミをにぎわすようになった。さらにセキュリティ問題の広がりが、経営層のIT負担感を増大させている。忘れていた2000年問題を思い出す人もいる。

 パソコンの画面と仲良くなり、人との接触を避けたがる若手の技術者が増えた。パッケージソフトの利用が一般化し、システム化の仕事の内容は一変したが、社外での教育に出たがらない人がいると聞く。その教育のコースも書籍もハウツーものの花盛りで、基礎的なことを学べる機会は極端に少ない。

 大学では情報関係は学生に人気のないコースになった。「3Kで理不尽なSE職場」が彼らの持つイメージだ。就職先の決まらない学生に「SEにでもなったら」や「技術系の学部卒では、SEぐらいにしか」という話が出ると、大学関係者がいう。二昔も前には「でも、しか先生」。早く手を打たないと「でも、しかSE」時代になってしまう。政府のe-Japan戦略がうたう「世界に通用する高度IT人材の育成」などを当てにしてはいられない状況なのだ。

力があれば他人に任せてもうまくいく。力がなければ力を付けるために自分でやらざるを得ない

 IT化が進むほど、情報システム部門の役割は限定されてくる。これが支援機能の組織の宿命だ。究極的には最小の統括機能と、自社の経営に特化した高度のコンサルタント的機能を残して、そのほかの機能は社内ユーザー組織で自己完結する部分と、アウトソースする部分への二極分化が進んでいく。しかし、他人に任せたことがうまくいくためには、必要な能力が相手に育ち、そして何より自分自身に十分な実力の備わることが必須の要件である。WIN-WINの関係は双方ともに高い能力や緊張感と、倫理観があって初めて実現できるのだ。

 今後5〜10年の業務をふかんし、この条件をクリアできる見通しをもって進められている施策なら安心である。しかし、そうでないのなら、本社という孤島に閉じこもり、再び情報システムを漂流(管理や保守が十分できていない情況)させることのないように、適切な配慮を切に望みたい。ITにかかわるすべての問題に対し結果責任を負うべき立場は、IT部門をおいてほかにはないのだ。

いまこそ、残された最後の機会ではないか?

 そしていま、多くの企業で経営改革・業務改革に伴うシステム再構築のめどを立て、業界特性やそれぞれの経営戦略に従い、それぞれのITの道を求める段階を迎えている。省みて、IT部門は「本来どうあるべきか」より、その時々で「できる・できない」に施策の判断をしてきた傾向がある。相手に理解させなかったが故に、権限のない問題にまで責任を持たされたり、逆に確保すべき権限を手放し責任を結果的に放棄してしまった面がなくもない。

 いまが、これからどうするかを決める最後の選択のチャンスかもしれない。後悔のない将来のために、「目先の情況に引きずられて不本意な選択」という道は、今回はぜひとも避けなければならない。

筆者プロフィール

公江 義隆(こうえ よしたか)

ITコーディネータ、情報処理技術者(特種)、情報システムコンサルタント(日本情報システム・ユーザー協会:JUAS)

元武田薬品情報システム部長、1999年12月定年退職後、ITSSP事業(経済産業省)、沖縄型産業振興プロジェクト(内閣府沖縄総合事務局経済産業部)、コンサルティング活動などを通じて中小企業のIT課題にかかわる


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