まだ写真が銀塩フィルムだった時代の話だ。
写真を趣味で楽しんでいた頃、僕の持っていた一眼レフはアマチュア用の普及機だった。プロ用とされるフラッグシップモデルは値段がとんでもなく高く、しかもさまざまなアクセサリが用意されていて、憧れの的だった。システムでそろえると、若者には非現実的な値段になっていく。
今はとても手がでないが、いつかは、と思わせるフラッグシップ機は、巧妙に下位の機種との差別化を図り、別格の存在感を放っていたのだ。
まずファインダーが交換可能なこと。デフォルトのアイレベルのほかに、スポーツファインダー、ウエストレベル、露出計をファインダー内に入れ、モーターで絞りを動かすAEファインダーなど、その時代のプロに必要とされるさまざまな機能のモデルが用意されていた。
もう1つの差別化が「モータードライブ」だった。ファインダーは、下位機種でもアングルファインダーやマグニファイヤーを取り付けたりして同じような使い方ができたのだが、モータードライブだけはどうしようもなかった。これは一眼レフ本体の下に取り付けて、フィルムを秒5コマほどの高速で巻き上げる機構だ。普及機にはそもそもモータードライブという設定が最初からないのである。
プロカメラマンはシャッター音に加えてこのモーターの巻き上げ音によってモデルの気分を上げていくのだという話を聞いて、僕の憧れは最高潮になった。
その頃のモータードライブは、単三電池を10〜12本も内蔵するものだったので、これを付けると一眼レフの本体は倍ぐらいの高さになり、それに加えて格好のいいグリップが用意される。この、背の高い一眼レフこそがプロの証しだ。欲しい、しかし買えない。
悶々(もんもん)としていた僕の前に、救世主のような製品が現れた。ヨドバシカメラの地下で、僕は「フィルムケースグリップ」(確かそんな名だった)を見つけたのである。遠くから眺めると、どう見てもモータードライブだ。しかし値段は安い。その正体はただのカメラグリップなのだが、明らかに「狙って」かなり大柄に作ってある。ボディは張りぼてでがらんどうだから、さすがに気が引けたのか、内部はフィルムが内蔵できるようになっていた。確か35ミリフィルムが3本収納できたと思う。
この、お茶目な製品を世に出したのがマイネッテ(みなと商会)という会社だった。結局、僕はフラッグシップの一眼レフが買えるようになるまで、このグリップを使い続けたのだ。マイネッテという写真用品メーカーは、ある意味僕の心のスキマを埋めてくれたのである。
もちろん本物のモータードライブではないから、気を使う部分はあった。街でちゃんとした一眼をぶらさげている人を見かけたらバレないように距離を置くとか、親指でフィルムを巻き上げるところを見られないように目にも留まらぬ速さで巻き上げるとか、何か僕は写真とは関係のない部分に血道を上げていたような気がする。まあ、これが若さというものなのだろう。
マイネッテが危ない、といううわさを聞いたのは2004年、僕がプロカメラマンになってから20年以上過ぎてからのことだった。人気のLowepro(ロープロ)※というカメラバッグの日本総代理店だったから安泰だと思っていたのだが、そのLoweproが店頭から消えたのだ。
そのうちに、もうあっという間にマイネッテのブランドは市場からなくなり、みなと商会は倒産してしまった。何が原因でこの名門の用品メーカーが逝ってしまったのか、僕はその原因も分からずに軽い喪失感を感じていた。あの強烈な「フィルムケースグリップ」を世に出してくれた会社はもうないのだ。
やがて始まった倒産セール。マイネッテの製品が投げ売られている。僕は何かを買って若い頃に世話になった会社に御礼と供養の気持ちを表そうと思った。
何がいい? きっとマイネッテらしいものがふさわしいのか。でも途中で考えを変えた。金属がいい。時間がたっても存在感が変わらないものがいい。そうすればいつまでもマイネッテのことを思い出せるから。たとえ僕が死んでも、それでも変わらずに残っているものがいい。
「スーパーロック50」は最適な遺品だった。あれから10年以上たったが、変わらずにそれはここにある。
ボールヘッド。日本語では「自由雲台」と言う。マイネッテが自由だった時代は、もう随分と昔のことになってしまった。でも僕は最後まで「フィルムケースグリップ」を忘れない。もしかしたら写真を一番楽しんでいたかもしれない時代だから。
スーパーロック50は、あの時代を思い出させてくれる大切な金属なのだ。
※Loweproはアメリカのカメラバッグブランド。現在はハクバ写真産業が国内で販売している。
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