コロナウイルスの流行から世界情勢の不安定化、製品供給網の寸断や物流費の高騰、そして急速に進む円安と業界を取り巻く環境は刻一刻と変化している。そのような中で、IT企業はどのようなかじ取りをしていくのだろうか。各社の責任者に話を聞いた。連載第7回はアイコムだ。
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アイコムは、無線機器メーカーとして知られる企業だ。アマチュア無線機のトップメーカーとして高い知名度を誇る一方、主力製品であるトランシーバーは、世界100カ国以上に展開。ここ数年、無線LANアクセスポイントやワイヤレスIPカメラなどのネットワーク機器の品ぞろえも強化しており、無線に関する圧倒的ともいえる技術力が世界中から高く評価されている。
2023年度からは、新たな中期経営計画がスタートした。コアビジネスの強化とともに、新たなビジネスモデルへの挑戦、100年企業を目指したサステナブル経営にも挑んでいる。
そのアイコムを率いる中岡洋詞社長は、技術立社の同社において、営業畑出身社長というユニークな存在でもある。米国子会社で26年間に渡り勤務し、1年間で全米50州を回って新規販売店の開拓を行った武勇伝や、米国国防省に海外メーカーとして初めて無線機を納入したという剛腕ぶりも持つ。
前編となる今回は、同社を率いる中岡洋詞社長の経営術に迫った。
―― アイコムとはどんな会社なのでしょうか。
中岡 1954年に創業者である井上徳造が、自宅の庭に小さな建屋を設けて、アマチュア無線機のメーカーとして起業(井上電機製作所)したのが始まりです。日本は、1970年代半ばに、世界最大のハム(アマチュア無線)王国となり、それにあわせてアイコムも業績を伸ばしました。特に、1980年に発売した小型アマチュア無線機の「IC-2N」は、当時のハンディー機の常識を破る画期的製品として、空前の大ヒットを記録しました。
無線通信に欠かせない周波数帯であるRF(高周波)の電波を操る技術力には卓越したものがあり、陸/海/空/アマチュア無線と、幅広い製品ジャンルにおいて、無線機器本体だけで約200モデルをラインアップしています。
企画/設計/生産の全てを国内の自社設備で行い、顧客の声をすぐにフィードバックできる体制を敷いていることも特徴の1つです。
―― 経営理念は「コミュニケーションで創る楽しい未来・愉快な技術」としています。「楽しい」「愉快」という言葉を、経営理念に盛り込んだ意味はなんですか?
中岡 先ほどお話したように、当社はアマチュア無線から始まった会社です。この言葉には、ハムの仲間たちが楽しくコミュニケーションを取る世界を支援したいという意図が込められています。
当時、7人の係長たちと創業者である井上(井上徳造会長)が集まって決めた言葉です。また、創業者は今年93歳になりますが、毎日会社に来て常に技術に高い関心を寄せています。5Gを始めとした最新通信技術が気になっているようで、技術者たちと机を叩きながら、前のめりになって話をしていますよ(笑)。
まさに、愉快な技術に自ら取り組んでおり、社員たちは、その姿を毎日見ていますから、経営理念が自然と身についているのではないでしょうか。
―― 中岡社長にとっての「楽しい」「愉快」とは何でしょうか。
中岡 社長や役員、社員という壁がなく、より密なコミュニケーションを行いながら、仕事に取り組むことだといえます。私は米国での勤務が長いのですが、現地法人で社長を務めていたときには、社員全員が私のことを「ヒロ」と呼んでおり、そうしたフランクな関係を社内に築きたいと思っています。
もちろん、日本ではなかなか難しいのですが(笑)、海外営業の社員には、商談の際に「ヒロ」と呼べといっています。お互いに何でもいえる、壁を作らないコミュニケーションが大切だと思っています。
―― 中岡社長は、なぜアイコムに入社したのですか。
中岡 大学の先輩に勧められたのがきっかけでしたが、海外に行けるチャンスがあると思い(笑)、入社しました。正直なところ、無線機に興味があったわけでなく、入社後は無線の基礎の基礎から勉強をしました。
―― 海外に行くチャンスはいつ訪れましたか。
中岡 入社10年目の1994年に、アイコムアメリカへの配属が決まりました。現地法人の社長は厳しくも、やさしさを持ったトップで、営業やマーケティングだけでなく、経営や人事も彼から学びました。
最初に受けた指令は、全米50州を回り、アイコム製品を取り扱っていない販売店を訪問し、新たな取引先を開拓するというものでした。「50州回るのは、米国の営業マンならば、みんながやっていることだ」と言われ、すぐに活動をはじめました。
当時はインターネットもありませんから、空港に着くと分厚いイエローページ(電話帳)を開き、扱ってくれそうな販売店をピックアップし、レンタカーを借りて、飛び込みで訪問し、モーテルで休んでは、次の州に移動し、週末も関係なく仕事をして、たまに本社に戻るということの繰り返しでしたね。
西海岸や東海岸に比べると、中部は何時間も移動しないとたどり着かないということも多く、ずいぶん苦労しましたよ。初めて東洋人を見たといわれることもしばしばでした。
約1年をかけて50州を走破し、その間、約500社を訪問し、何社かは初めての取引を開始することができました。ただ、50州全てを回ったことを現地法人の社長に報告すると、米国の営業マン全てが50州を回るという話はまったくのデタラメで、「50州全てを回ったヤツは一人もいないよ」と驚かれました(笑)。
ただ効率性を重視すれば、こんなやり方はさせませんし、すぐに売上げを期待するのであれば、別の方法があったでしょう。わざわざ1年という時間をかけて、私に経験をさせることを優先したのだと思います。実際、この経験は、私にとって大きな財産になっています。
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