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» 2000年12月26日 12時00分 UPDATE

IT Business フロントライン(18):三浦選!2000年を彩るニュース(2)〜 びっくり重大ニュース 〜

[三浦優子(コンピュータ・ニュース社),@IT]

 前回に引き続き、2000年に取材をした中で、強く印象に残ったニュースをピックアップしてみたい。ただし、「今年の重大ニュース!」という企画は、あちこちの雑誌で行われているので、ここでは、私、三浦優子が驚いた「びっくり! 重大ニュース」というテーマでお送りする。

 一般的には大したことのないニュースが入っているかもしれないが、なぜそのニュースを選んだのかなど、取材中のバタバタした裏話とともに、私の印象に残った中から「ベスト3」をお届けする。

 今年の手帳を開くと、とにかくいろいろなニュースがある……。うーん、前回、社長交代はまとめて書いてしまったので、それ以外となると……。とにかく、始めてみよう。

第3位「グヌーテラはヌーテラだった!」

 2000年の今年、最も「すごい!」と痛感したのが、「ナップスター」と「グヌーテラ」であった。私が「すごい!」と痛感したのは技術に対してというよりも、短期間に産業構造を変えさせたという点だ。

 ナップスターは、独のレコード会社ベルテルスマンと提携したが、ベルテルスマン傘下のBMGエンタテイメントは、反ナップスター派の会長2人を更迭したのだ。大企業の会長2人の首を飛ばすパワーをナップスターが持っていたということになる。

 これだけの短期間に、コンピュータ産業以外を震撼させた技術もそうはあるまい。最初は「有償」「無償」といった部分ばかりが取りざたされたけれど、実はそんなことは議論の本質ではなかったのではないか。この技術の革新性というのはやはり「すごい!」ということが実証されつつあるように思う。

 私の所属する「BUSINESS COMPUTER NEWS」へ、在米の外部ライターから届けられた原稿の中に「日本ではグヌーテラという表記をされているが、米国では“グ”を抜いて、ヌーテラと発音する」という一文があり、編集部は大騒ぎとなった。

 「どうする? これから、どっちで表記する?」。最初に「グヌーテラ」という表記を使用したのは日経新聞さんだった。すでにそれが浸透しているのに、いまさら「ヌーテラ」と表記したら、わが社の読者はついてきてくれるのか?

 でも、ほかの米国人の方に聞いても「グは発音しないよ、ヌーテラだよ。ヌーテラってお菓子もあるんだよ」っていうし、Linuxだって「リヌクス」とか「ライナックス」とか、色々な表記があったわけだし……。

 「いや、“グ”は絶対発音した方がいい!GNUの精神を引き継いでいるんだから、“G”をいれて発音するのが正解」という人もいるし……実は、表記がコロコロ変わるのは珍しいことではないんだけどね。

 なんだか「産業構造が変わる!」と意気込んでいた気持ちが、シューっとしぼむような、「グヌーテラは実は“グ”抜き」という、間抜けさを感じた話題であった。

第2位「サーバ機、価格が劇的に低下」

 2000年の今年、サーバ機の価格は本当に下がった。まあ、クライアントであるパソコンが、どんどんハイスペックになったにもかかわらず、低価格になったのだから、その割にサーバが高かったということだが、ここまで劇的に価格が下がると、やはり強く印象に残るものだ。

 パソコンのサーバについては、デルが本格的にこの分野に参入してきた影響が大きかった。メーカーの偉い人に話を聞きにいくと、「デルと真っ向から勝負したら、利益なんて出ないよ」とぼやいていた。

 聞くところによると、国産メーカーではこの半年くらいで、価格が25%くらい下がったということだ。ユーザーにとっては、デルのサーバ分野への参戦は本当に歓迎すべきことだったように思う。

 UNIXサーバでは、サン・マイクロシステムズが思い切った低価格で直販を始めたことが響いたようだ。「販売代理店殺し」なんて物騒なことをいいだす人がいたくらいだ。「いよいよ、来年はUNIXも市場が荒れるよ」という指摘もある。

 サーバに関しては、メーカー間競争がとにかく激しいので、記者としてはいっぱいニュースが拾えて、本当にうれしい限り! そういう意味でも、とっても印象に残った。

第1位「2000年問題 一応、無事に終息」

 読者の皆さんの中にも、1999年から2000年にかけての年末年始を会社で過ごす羽目になった人も少なくなかっただろう。湾岸に本社を構える東芝は、初日の出を見るには絶好のロケーションにあるのだが、例年ならば、年末年始はオフィスは立ち入り禁止である。

 ところが、2000年は特別事態で、オフィスに泊まり込み、東京湾に昇る美しい初日の出を見ることができたそうだ。が、社員からは、「上司と一緒に見てもつまんないねえ……」という声が上がったらしい。

 かくいう私も、2000年は元旦から仕事をしていた。1999年の年末になって、日本電子工業振興協会(以下:JEIDA、現:電子情報技術産業協会)が「2000年1月1日午前1時から2000年問題の状況について記者会見を行います」という連絡をくださった。政府の2000年問題の発表をうけ、業界団体側から発表を行うとのこと。

 弊社・編集部には緊張が走った。「だれが行く?」。気のせいか、みんなが私の顔を見ているように思えた。特に編集長がジーっとこっちを見ていた……。

  「三浦くん!君は、実家が東京だから、会見が終わってから実家に戻れば問題ないだろうし、幸いにも独身で家族もいないし、おまけに恋人もいないみたいだから、年末年始に記者会見に出席してもだれも悲しまないよね?」

 「えーっ? 編集長、突然何をいいだすのよ?」、そう思って、本当は文句の1つもいいたかったが、2000年問題で新年から出社する人がたくさんいることを思えば、ちょこっと記者会見に出ることくらい、なんてことない……。

 と、いうわけで、私は20世紀最後の年明けを、記者会見が行われた赤坂プリンスホテルで過ごした。皆さんご存じのように、会見の内容は「ライフラインについては、大きな問題はなし」という結果に終わった。

 発表後、「どうぞ」とシャンパンが振る舞われた。社内では、「年越し蕎麦が振る舞われるのでは?」という推測もあったが、正解はシャンパンだった。当時JEIDA会長であった秋草直之富士通社長とシャンパンで乾杯したが、こんな新年はおそらく二度と過ごせるものではないだろう。これから先、この仕事を続けていても、味わうことはできない特筆すべき体験であった。

 西暦2000年問題は「騒ぎすぎだった」などと批判も多いが、ITビジネスにかかわる者にとっては、コンピュータがこれだけいろいろな所で活用されれば、「ちょっとしたバグ」が社会問題にまで発展し得ることを証明したのではないかと、私は思っている。

 「バグなんて当たり前」というIT業界側の通念が、もはや通用しなくなるようなところまできている……と改めて認識させたのが「西暦2000年問題」だったのではないだろうか?

@ITへの寄稿は、今年はこれで最後になります。
皆さん、よいお年をお迎えください!

著者紹介

三浦 優子(みうら ゆうこ)

1965年、東京都町田市出身。日本大学芸術学部映画学科卒業後、2年間同校に勤務するなど、まったくコンピュータとは縁のない生活を送っていたが、1990年週刊のコンピュータ業界向け新聞「BUSINESSコンピュータニュース」を発行する株式会社コンピュータ・ニュース社に入社。以来、10年以上、記者としてコンピュータ業界の取材活動を続けている。

メールアドレスはmiura@bcn.co.jp


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