1年くらいで会社をたたむつもりなら人を育てる必要はないけど、僕は基本、長期的に続けるつもりで考えている。だから、判断を間違えた場合は「判断基準を更新して成長するいい機会」と捉えているのです。
もちろん、そうやって現場が育ち、より精度の高い判断ができるようになってくれれば、僕としても、会社にあまり縛りつけられないですみますしね。
例えば、僕が寝過ごして行けなかった会議が、僕ナシでも滞りなくすめば、「こういう会議には僕は出なくていいんだな」と分かる、そんなこともあります。
ボトルネックが減れば減るほど、僕が同時多発的に関われるプロジェクトが多くなります。だから、「自分がいなくても事足りること」に気付けるのは、ビジネス的にとてもコスパがいいことなのです。
これって別に、会社経営のことだけじゃないと思いますよ。例えば事務の仕事とかだと、上司の「承認サイン」をもらわないことには、いかなる仕事も進められないなんて話を聞きます。
備品のティッシュひとつ頼むのにも承認が必要で、上司ももはや書類を見ずにサインするような状況だそうです。そんなの、頼むほうもサインするほうもバカらしいから、もう権限をあげちゃいなよ、と思いますが。
「自分がいなくても事足りる」というのは、なんだか必要とされていない感じがして傷つくという人もいるかもしれませんが、いなくても事足りるぶん、自分は他の楽しいことに時間を費やせるわけです。
そう考えれば、休暇だってもっと堂々と取れるようになるだろうし、電話で急に呼び出されるなんてこともなくなって、休みをフルに楽しめるようになるのではないでしょうか。
それに、こんなふうに自分を「パーツ」として捉えていると、チームを組むスキルなども上がると思います。
先ほど、寝過ごして行けなかった会議の話をしましたが、人を部品として捉えると「あえて外してみる」という見方がしやすくなります。すると、人の本質的な能力が浮き彫りになることがけっこうあるのです。
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