持続可能社会とITシステムはどう在るべきか(後編)何かがおかしいIT化の進め方(46)(4/4 ページ)

» 2010年06月21日 12時00分 公開
[公江義隆,@IT]
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全体を俯瞰(ふかん)する視点が不可欠な「技術改善」

 3番目の課題、「技術改善」については、その難易度はさまざまだが、無駄の排除、省エネ機器への置き換えなど、概念としては考えやすい問題である。ただし日本の場合、大手企業を中心に、コスト削減策として、またある時期には環境対策として、従来から乾いたタオルを絞るようにして省エネルギーを実践してきた経緯がある。これらの企業側の努力の結果を「価格ダウン」として消費者はどちらかといえば享受できた。しかし、これには限度がある。今後は一般家庭・消費者側の負担が大きな問題となる。

 また、資源をスムーズに回収・再生するための技術開発とリサイクル産業の整備が必須になるが、この出来栄えによっては日本列島を資源の鉱脈にできるはずであるから、資源問題の緩和にはある程度は寄与できるだろう。

 ただし、こうした施策の計画や実行には、製品の原材料調達から製造、輸送、加工、流通、使用、廃棄、回収という「サプライチェーンの全工程」を視野に入れ、その“全体に要する資源やエネルギーの総量”で評価するLCA(ライフ・サイクル・アセスメント)の考え方が求められる。例えば、いくら使用時のエネルギー効率が良くても、そのほかのプロセスで資源やエネルギーを消費しやすい商品やサービスはダメということだ。IT分野で言えば、「運用維持コストが安くなるからといって、新サービスや商品が発表される度にシステムを再構築していては、かえってトータルコスト高になる。そんな事態を避けよう」という話と同じである。ライフサイクルを通じての最適化は、どの分野の問題にも重要な概念である。

これからの情報システムに求められるもの

 以上のような持続可能社会に変革するための要件を一言でまとめれば、「使い捨て文化からの脱却」ということである。これからのITシステムについても、このスタンスが必要だと思う。

 この20世紀後半からのコンピュータ利用の歴史を振り返ってみれば、何か問題が出るたびに、「その問題そのものの評価」「問題の背景や要因」を十分整理することもないまま、「課題解決ができる」という売り文句を持つ「新しい“テクノロジ”」(その実、単なる商品仕様)に飛び付いて“その場限りの解決”を図り、また問題が出れば飛び付くという、あたかもモグラ叩きのような“使い捨ての繰り返し”の中でエネルギーの浪費を続けてきたのではないだろうか。

 開発現場における過去十数年を振り返ってみて、そのときどきにおいて「それしか仕方がなかった」「それがベストと思った」など、自分たちが採った方法や考え方の理由は、「本当にそうだったか」を再評価してみてほしい。

 「新潮流に乗ればうまくゆく」といった甘い考えや、「乗っておけば言い訳はできる」「乗っておかないと取り残されるのではないか」という恐怖感、またその裏に「自己保身」や「目の前の苦労から逃げ出したい」という気持ちはなかっただろうか。「丸投げの最終形態」とも言えるクラウドコンピューティングに対する昨今の異常なほどの関心の高まりにも、そんなことを感じる。

 管理が難しくなった情報システムは、過度の他人任せと巨大化により、管理困難なモンスター状態に陥りつつあるように見える。ひと昔前なら大きな社会問題として取り扱われたような公共性のあるシステムトラブルも、セキュリティ問題やネット犯罪も、頻発すれば社会はあきらめ顔になる。IT関係者はそれで「容認された」と勘違いして、問題を放置したままさらに前に進もうとする。先にあるのは社会システムの崩壊だ。

 必要なのは、長持ちするインフラと、管理やメンテナンス、リフォームが容易な分かりやすいシステム構造の研究や、研究を実行できる体制作りへの注力である。これが品質・信頼性・低コスト化の基盤になる。SLAで書面上は格好を付けても問題は解決しない。真の高品質→長寿命、ライフサイクルコスト低減→ゆとり→能力向上→高品質というサイクルへの転換の糸口を作らなければならない。品質を支えるには人の能力、気力や熱意が必要である。

 開発したソフトウェアの最終テストを打ち切る(=完成とみなす)条件や基準として、皆さんはどんな考え方をお持ちだろうか。こんなあたりから、ぜひ、あらためて自問してほしい。

 また、アプリケーションやITシステムについては、「人やものの移動を極力減らせる社会の仕組み」をサポートできる情報システム整備が求められることになるのだろう。その新しい動きに対応できるよう、ITに携わる人たちから失われてしまった、システム工学/システム思考の能力が、いま一度求められるようになると思う。


 これからの10年、20年は、世界、特に日本にとって大変厳しい時期になるように感じる。 山崎豊子氏の作品「沈まぬ太陽」の主人公、恩地元のモデルといわれている元日本航空社員で、退職後は随筆家/動物写真家として活躍した小倉寛太郎氏の写真集の中に印象的な一節がある。その簡単な要約を紹介して、今回のまとめとしたい。

 『ライオンは、群れで暮らしているバッファローを挑発し、その1頭を群れから離れさせたうえで襲うことがある。だが、ときにバッファローの群れはライオン目がけて逆襲する。そして逃げ出したライオンを尻目に、群れは仲間を救い上げる。一方、チーターもヌーの群に飛び込み、その一頭を襲うことがある。しかし、ヌーの群れは逆襲することなく、「良かった、今日は俺の番じゃない」と言わんばかりに、そ知らぬ顔で草を食べ続けている。ヌーは自分たちが団結したときの力の強さを知らないのだ。だから逃げ惑うだけなのだ。人間はほかの野生動物を見て、“生物としての人類”について学んだほうがいいと思う』


▼「地平線の彼方に」(小倉寛太郎=著/新日本出版/2010年3月)より要約した。他の動物写真家のそれとは一線を画す野生動物の感動的な写真集である。10年以上にわたってナイロビなどの遠方拠点勤務を強いられた厳しい人生であったがゆえに感じ取れたことなのではないかと思う。


編集部より、一部修正のお知らせ

 著者の意向により、「これからの情報システムに求められるもの」のセクションにおける主題、「この20世紀後半からのコンピュータ利用の歴史を振り返ってみれば〜“使い捨ての繰り返し”の中でエネルギーの浪費を続けてきたのではないだろうか」という考えを、より明確に伝える目的で、本セクション末尾に配置していた一文 「開発したソフトウェアの最終テストを〜ぜひ、あらためて自問してほしい。」を本セクション第7段落に移動いたしました(2010年8月12日)。


profile

公江 義隆(こうえ よしたか)

情報システムコンサルタント(日本情報システム・ユーザー協会:JUAS)、情報処理技術者(特種)

元武田薬品情報システム部長、1999年12月定年退職後、ITSSP事業(経済産業省)、沖縄型産業振興プロジェクト(内閣府沖縄総合事務局経済産業部)、コンサルティング活動などを通じて中小企業のIT課題にかかわる


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