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» 2009年04月02日 12時00分 公開

何かがおかしいIT化の進め方(42):“変化”を模索する世界(後編) (3/3)

[公江義隆,@IT]
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日本の文化に適合するシステム化を

 次に、このシステム化・自動化という方式を、「人の能力との競合」という観点から考えてみることにする。問題は、「コンピュータ化やマニュアル化を行ってきた部分」の多くが、「平均的能力を持つ日本人が得意とし、また興味を持てた部分」と一致するように思う点である。コンピュータ化が、多くの人たちから“よい”仕事を奪って、彼らをより下層の仕事へと追いやり、それが現在の深刻な二極分化、雇用問題の背景の一因を構成しているように思えるのである。

 オフィスから、高卒・短大卒女子の仕事がなくなった。新入社員に適当な仕事がなくなった。個人主義と自己責任論とあいまって、能力アップの入り口が分からなくなり、入口のハードルも高くなり、人がなかなか育たない。結果的に能力と仕事のマッチングが難しくなり、仕事の質が下がる。そして、まともにやれる人がいない高度な難しい仕事と、3K職場だけが人々に残される。

 “ものづくり”の現場からは「小集団活動」が消え、“改善”や新しいアイデアは生まれなくなった。組織全体の進歩が止まった。追い付いてくる相手を引き離せなくなってきた。 余裕がなくなり、短期思考になり、ますます人は育たず、画期的な製品は生まれず、ますます苦しくなる。

 国民の能力分布について、「職業的な潜在能力」を横軸に、「国民の人口比率」を縦軸に取った図をイメージしてみてほしい。客観的なデータがあるわけではないが、おそらく日本は、中間部が高い、なだらかな密度分布になるように思う。日本人には、知識の習得が好きで、作業の中で工夫しながら中程度の難易度の仕事をうまくこなす人の比率が高く、これがボトムアップ型マネジメントを支える形になっていたように思う。

 一方、昔の奴隷制度の名残りや移民で成り立ってきた米国では、貧富の差が大きく、これが教育機会にも影響していた。結果的に中間がやや浅く、下部が膨らみ、最上部のわずかの部分に鋭いピークを作るような分布になっていて、これがトップダウン型マネジメントの土壌の背景になっていたのではないかと思う。そうであるなら、米国の場合には人とコンピュータが補完的な位置付けになる。逆に日本では、米国直輸入のコンピュータの使い方やアプリケーションの構成方法では、日本人の能力と競合関係を作ってしまうことになる。

 日本人の特性をさらに配慮した情報システムの形や方法、対象範囲などを真剣に考えていく必要があるのだと思う。同時に、システム化により生まれた人的余裕を、どのような対象に向かわせていくかが、併せて考えるべき極めて重要な問題なのである。

 必要なことは、「下層の仕事を残さない徹底した自動化」と、「コンピュータ化によって存在を追われた人が、より上層の仕事を行えるようにする教育」をワンセットで考え、実行することだと思う。分業については、各自が「分担する仕事の中で工夫ができ、それによって人が育っていく、またそのことが評価される」切り口や単位で行われるように考えなければならない。それが常に進歩し、長期的に存続できる組織の条件になると思う。また、それが少子高齢化、つまり労働人口が減る日本にとって必須の要件になると考えている。

 これらはIT化、システム化の理念の問題である。「ITは、企業の目先の金儲けのツールだけでいいのですか」という問題である。企業のIT関係者は、「システムの“ものづくり”」に徹していればよい、といった姿勢では許されない時代に来ている。

人を生かし、進歩していくシステムを

 上記の問題検討の一例として、企業の会計システムを考えてみる。十数年も前、ある会合で会計処理のシステムについて米国人と議論したことがある。

 米国のシステムは、米国製のERPなどのプログラムパッケージなどに見られるように、端的にいえば、データエントリーを(おそらく給料の安い人が)まとめて機械的に行い、給料の少し高い会計知識を持つ人(米国では専門家になっているらしいが)がデータチェックを行う、といった考え方に基づいた仕組みになっているものが多かったように思う。

 一方、日本の多くのシステムでは、短期の経理教育を受けた一般事務の女性社員が、各部門で会計業務を行っており、それに合わせた効率的なシステムが作られていた。米国人は、日本のシステムで間違いや不正が起こらないことを不思議がっていた。

 その後、日本の会社では「自分の使ったお金の処理ぐらいは自分でやりましょう」という考えに基づく、新しいタイプのシステムが開発されていた。伝票を書く代わりに、利用者がIDとお金の使用目的、金額をシステムに入力すれば、自動的に会計仕分けが行われ、利用者の担当業務やポジションにより、その目的の妥当性や限度額がチェックされるなど、自動化をさらに進めたシステムであった。

 しかし、この進んだシステムにも、先に別れ道がある。会計処理担当者の「省人化でとどめる」か、「生まれた余力を、教育によって、より高いレベルの仕事に向かわせ、新しいものを生み出す力にする」ところまで進めるか、という選択肢である。残念ながら、多くのケースでは人をコストと見る前者のレベルで止まってしまった。不景気のさなかで時期が悪かった。 その後、J-SOXなどというおかしな動きの中で、情報システムはどの方向へ進んでいきつつあるのだろうか。

 ほかの例としては、ある機械加工の中小企業で、一般的な仕様の金型などの設計から加工までを、徹底的に自動化した会社があった。これで中国など人件費の安い新興国の攻勢にも太刀打ちできるようになったという。

 製作現場にいた人たちの多くは、初めてのことを学びながら、営業や技術支援など、人を相手にする仕事に回って商売を広げ、現場に残った少数の匠は、特殊な注文や高度な技術を要する仕事を担当するために現場に残った。会社の存在の拠り所である技術の開発と、新たに得られる技術や知識・ノウハウによって、「手許の自動化システムをより賢くしてゆく仕事」が匠たちに任された。

 システム化は、行った時点で人も組織も進歩が止まる“目先の守り”の方法だ。先に進むための仕組みが必要なことを、われわれは肝に命じておかなければならない。これは国の姿についても同じことがいえる。


 いま直面している経済問題は、われわれが認識している以上に傷が深いようである。回復には長期を要し、「元の姿へ戻ろう」という考え方では回復はおぼつかないように思う。 かつて成功を収めてきた近江商人の間に、「三方よし」という言葉があった。三方とは、売り手、買い手、世間である。いまならここに、従業員と株主が加わるのだろう。

 大岡越前守の裁きに「三方一両損」という話があった。皆がそれぞれ少しずつ辛抱をしないと、問題は解決しない。「三方よし」には「三方一両損」の考えが必要になる。周りを切り捨てて自分だけ助かろうとしても、それはかなわない事態にある。「皆で苦難を共有する体制を作り、耐え、助け合って相互信頼を築き、倫理観を取り戻し、そのうえで協力して搾り出した知恵」が復興への力となるはずだ。また、そこで培ったものが、今後数十年の日本を支える礎になると思う。

profile

公江 義隆(こうえ よしたか)

情報システムコンサルタント(日本情報システム・ユーザー協会:JUAS)、情報処理技術者(特種)

元武田薬品情報システム部長、1999年12月定年退職後、ITSSP事業(経済産業省)、沖縄型産業振興プロジェクト(内閣府沖縄総合事務局経済産業部)、コンサルティング活動などを通じて中小企業のIT課題にかかわる


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