「待っとったで、猪狩君」。社長室に通されると、秋田がきさくに出迎えてくれた。まったく飾り気のない部屋だった。かすかに香のにおいがした。
「お忙しい中、ありがとうございます」
「うんうん。まあ、かけなさい」
秘書が持ってきたお茶を勧められた。わざとぬるめに入れてあったのだろう。急ぎ足できた浩は一気に飲み干した。
「なあ、猪狩君。君の会社、コストの負担者はだれか知ってるか?」
「はい、すべてお客様です。先日もそのようにお話しされていました」
「ははは。なかなかできのええ生徒や。何べん言うても理解できんやつもおるんでな」
「ぼくは、そのことをずっと忘れていたように思います。だから印象に残りました」
「君はいま経営が苦しいんやと思う。まあ、おれのセミナーに来る社長はみんなそうやからな。何かを見失った人ばかりや。ビジネスは難しい。でも、根っこはシンプルや。お客様の気持ちが見えんようになった会社から潰れていく。例外はあらへん」
「でも、ぼくは『経営の正解』ばかりを求めていました。それが間違いでした」
「おっしゃる通りや。お客様の気持ちに正解なんかないからな。本当に移り気や。でも、きちっとお客様と会話ができれば、絶対にうまくいきまっせ」
「お客様と会話をするためには、どうしたらいいんでしょうか?」
「まず、どんなクレームもまたお褒めの言葉も、すなおにそのまま受け取ることや。これを『100%プラス受信』という。そこが最初やな」
「はい」
「それから、お客様の声を軸にすえて、自分自身と自分の会社を見つめなおす。そうすると、自社の『強み』も『弱み』も分かってくる。また『見逃している機会』も『迫っている脅威』も見えてくる。この4つをじっくり分析すれば、おのずと次にやることが見えてくる」
「SWOT分析というやつですね。以前お願いしていたコンサルタントにも教わりました」
「そうSWOTや。でも、おおかたの会社は、自社都合で強みも弱みも機会も脅威も考える。そうやないんや。お客様があんたの会社をどう見ているかなんや。180度違うやろ? だから、できないコンサルの指導でやるSWOT分析はまったく役に立たないんや。君もそんなんにひっかかったクチか?」
「恥ずかしながら、その通りです」
「うん。焦っとったんやろな。それはそれでええ。高い授業料やったけど、めっちゃ勉強になったはずや」
なるほど。なんでもそうやってプラスに捉えるのか……。
「SWOT分析でもう1個あかんと思うのは、多くの社長はんは、それが終わった時点で自分の役割はそれで終わり、あとは現場がやればええと思うことや」
「どういうことです?」
「SWOT分析で出てくるのは、戦略のそれも概要だけや。それを実際の行動にまできちっと展開する。そこまで社長が入りこまなあかん。その上で、行動がきちっとなされているか、その結果どうなったかを把握する。そして、結果をフィードバックして、また行動計画を見直す。そこまでやるのが経営というもんや」
「なるほど」
実にシンプルであたりまえの話だ。
「やっているつもりの社長はたくさんおる。でも、実際にやれている社長はごくわずかや。行動計画があらすぎるんやな。だから2割しか生き残れへんのや」
「それは分かりました。でも、例えば競合会社が何をやっているかなどの分析は必要なのでは?」
「ははは、まあ知っとったほうがええのは間違いない。だけど、競合分析なんてたいそうなことは必要ないんや。なぜなら、競争しないのが勝つ秘けつやからや」
「意味が分かりません」
「相手がおらんのやったら1人勝ちやろ? 相手のおらんマーケットを自分で作りだすんや。アクティブ運送でしか頼まんというお客様をたくさん作ればええだけのこっちゃ」
浩はますます分からなくなった。混乱している浩を見て、秋田は質問した。
「おまえさんは何屋や?」
「はあ、引越屋です」
「引越屋ならたくさんおるわな。あんたんとこに頼まんでもええ。もし頼むんやったら、一番値段が安いときだけなや」
「はあ……。でも、競合他社はうちと相見積(あいみつ)と分かると赤字でもいいという見積もりを出してくるんです」
「情けない商売をしてきたんやな。いつのまにか敵だらけや。でも、そんなん相手にせんでええ」
「でも、どうしたら? お客は安いほうへ流れていきます」
「引越屋をやめたらええ」
「引越屋はぼくの夢なんです。お客様のハレの日に、お客様から大事なものをお預かりし、お客様の部屋にまで入れてもらえる。こんなすばらしい仕事はありません」
「だったら、君はおれの話をどこまで聞いてたんや? できのええ生徒やと思っていたが、どうもそうではないようやな」
秋田は、きつい言葉をかけながらも、目は笑っていた。
「そうか、引越業務ではなく、引越の感動をお客様に提供すればいいんですね」
「うん、その通りや。何も安いところがいいだけやったら、誰もリッツ・カールトンなんかに泊まらへんやろ」
「ありがとうございました。これからも悩みは続くだろうけど、もう迷いません。本当にありがとうございます」
「あはは、良かった、良かった。ところで、君はいけるクチか?」
「お酒ですか。まあ人並みには」
「そういうやつは強いんや。実はこの後も時間を空けてある。飲み代は君が出せ。授業料や」
赤坂の落ち着いた割烹料理屋で「授業」は、まだ続いた。
著者・森川滋之が、あの「吉田和人」のモデルである吉見範一氏と新規開拓営業の決定版と言える営業法を開発しました。3時間で打ち手が分かるYM式クロスSWOT分析と、3週間で手応えがある自分軸マーケティングと、3カ月で成果の出る集客ノウハウをまとめた連続メール講座(無料)をまずお読みください。確信を持って行動し始めたい方のためのセミナーはこちらです。
ITブレークスルー代表取締役。1987年から2004年まで、大手システムインテグレーターにてSE、SEマネージャーを経験。20以上のプロジェクトのプロジェクトリーダー、マネージャーを歴任。最後の1年半は営業企画部でマーケティングや社内SFAの導入を経験。2004年転職し、PMツールの専門会社で営業を経験。2005年独立し、複数のユーザー企業でのITコンサルタントを歴任する。
奇跡の無名人シリーズ「震えるひざを押さえつけ」「大口兄弟の伝説」の主人公のモデルである吉見範一氏と知り合ってからは、「多くの会社に虐げられている営業マンを救いたい」という彼のミッションに共鳴し、彼のセミナーのプロデュースも手がけるようになる。
現在は、セミナーと執筆を主な仕事とし、すべてのビジネスパーソンが肩肘張らずに生きていける精神的に幸福な世の中の実現に貢献することを目指している。
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