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» 2010年08月02日 16時12分 UPDATE

小寺信良「ケータイの力学」:今から始まる、「失われた50年」後に生きる教育

子供の未来を考える上で、教育の話は避けて通れない。そして今、子供の将来のためになるような教育は行われていない。先日デジタル教科書教材協議会(DiTT)の設立シンポジウムに行って、有識者たちが今の教育に危機感を抱いていることがよく分かった。

[小寺信良,ITmedia]

 日本が工業立国として成立できたのは、従順に言うことを聞き、能力に格差のない人間を教育によって沢山輩出できたからである。昔の画一的な教育は、モノづくりには最適であった。しかし今、もはやモノづくりで国が成り立たなくなった。

 小泉純一郎元首相は、辞めてからいろいろ言われてはいるが、この点では先見の明があった。内閣府の知的財産戦略本部が「コンテンツ立国」を標榜し、知的財産推進計画として盛り込んだのは、2002年2月の小泉総理施政方針演説がきっかけであった。提案として、決して遅すぎてはいない。しかしこの計画は遅々として進まず、すでに知的財産推進計画そのものが何の実効性も持たなくなっている。

 コンテンツは、資源が何もない日本においては、「とりあえず今すぐに金になりそうなモノ」である。そして海外でも喜んで受け入れる土壌はできたが、現地でそれを売って回る優秀なビジネスマンがいない。契約・交渉もヘタクソなので、販売しても十分な利益が入ってこない。

 これから日本に必要となる人材は、これまでの日本人像からは想像も付かないタイプの人間だ。多国語を操り、コミュニケーション能力に長け、チームのリーダーとなって企画・イベント・ムーブメントを立ち上げ、幅広い文化間で合意を取り付け、ブームを作って世界中の人々と直接商売をする、「開かれた」人間である。

 ところが現実は、ケータイやコミュニティサイトの危険性ばかりを過剰に喧伝し、子供がネットに接続することや他者とコミュニケートすることを妨げる教育が、子供にとってよいとされている。何のことはない、これは単に今、親や学校にとっての「よい=めんどくさくない」だけのことである。教育に関わる大人も分からないから、手が付けられない。これでは、子供の将来のためにはならない。リスクがあるからといって、メリットごとまるまる取り去るのではなく、リスク回避の方法を教えるべきだ。ハサミやカッターなど、キレの良い道具の教育とは、常にそういうものであったはずである。

日本が変わるのは、教育が変わってから

 7月27日、デジタル教科書のあり方を議論、検討する民間団体、デジタル教科書教材協議会(DiTT)の設立シンポジウムに行ってきた。この模様は、Ustreamやニコニコ生放送でも中継されたので、ご覧になった方もいるかもしれない。筆者はプレス席の一番前という特等席で、現在の日本のキーマンのプレゼンテーションや講演を聴くことができた。

 雑ぱくな印象で恐縮だが、今現在イケイケだったり安泰だったりする会社代表の皆さんがそろって、日本は多分あと30年は負け続けると見ているのが、衝撃だった。バブル崩壊から20年。ということは、今22〜23歳の新卒社会人は、物心付いてからこっち、一度も景気がいいという状況を体験したことがない。右肩下がりの社会の中で、さらに競争を避けながら生まれたままの自分が一番といった教育を受け、社会の利益よりも小さな自分個人の精神の幸福を追い求める。

 そういう若者が主力になってゆく今後の30年は、まさに組織体の崩壊が訪れることになるだろう。30年というのは、いいスパンだ。現在経営者となっている人達の多くは、30年後にはおそらくこの世には居ないか、現役ではない。だから目先の利益ではなく、遠い先の話として大きなビジョンを見ることができる。

 DiTTのサイトを見ると、名だたる日本企業が名を連ねているのが分かる。どの企業も、「今教育を変えないとヤバイ」と思っている。協議会の名前から察すると、本来は電子教科書のあり方を検討する会のように思えるのだが、シンポジウムで語られたのは、ほとんど教育改革論である。つまりこれ以上国、文部科学省、教育委員会に教育を任せていたら本当に日本は死ぬ、民間にやらせろよバカヤロウ、という話なのである。

 これを、各企業が新規ビジネスにたかっているように捉えた人も居るようだ。だが筆者は、それが悪いことだとは思わない。というのも、企業の社会貢献事業という格好でやると、継続性が保証できないからである。社会貢献などは所詮、余裕があるところがやることなので、余裕がなければ簡単に予算縮小・撤退もあり得る。それでは小学校から大学までの16年間、保つかどうか分からない。親としては、途中で放り投げられては困るのである。

 教科書が電子化されるということは、子供たち1人1人が情報端末を持つということである。それは当然、スタンドアロンなものではあり得ない。ネットにつながり、他校の同じ学年の見知らぬ子供とコミュニケーションを取りつつ、ネットで過去の知恵を探し、共同作業するといったことも教えなければならない。すでに大人社会は、そういう社会だからである。

 これを教えられる教員は、そんなにいない。当然ネットに明るい大人が教壇に立たねばならない。このコラムをご覧の皆さんも、あと3〜5年後には学校の教壇に立つつもりで、いろいろ準備とか覚悟をしていただきたい。

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