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» 2010年03月24日 17時27分 UPDATE

矢野渉の「金属魂」Vol.9:花園から暗黒面へと落ちる――HP Mini 110“淡紅藤”

PC USERのカメラマンとして活躍している矢野渉氏が、被写体への愛を120%語り尽くす連載「金属魂」。第9回は日本HPのNetbookだ。

[矢野渉(文と撮影),ITmedia]

Mac、そこには女性たちが群れていた

 僕がPC関連の撮影を始めたのは1993年、あるMacintosh雑誌の創刊時である。当時僕が所属していた制作会社でもデザイン部門には既にMacが導入されており、そのマシン(Macintosh Centris 650)を借りて、見よう見まねでPhotoshopをいじり始めたころだった。

 当時のMacは、もっと以前のポルシェに例えられた時代に比べればかなり安くなっており、一般家庭にも普及し始めていた。僕はMac雑誌の撮影をしながら、専門知識を吸収するという恵まれた環境でしばらく過ごし、ついには自分でもLC 575を購入した。今思えば、このマシンはアップル(当時はアップルコンピュータ)のCRTディスプレイ一体型モデルの中で、ソニーのトリニトロン管を採用した最後の機種となったわけで、コストカットなどを考えなくてもよかった、古きよき時代のアップルの雰囲気が残っている製品だった。

 僕はこのマシンでPCの初歩をすべて学んだ。漢字Talk 7は時にフリーズし、その原因を探させることによって僕を鍛え、またある時にはSad Macの黒い画面で僕を絶望のどん底へとたたき落とした(まあ、システムをいじくり過ぎなんだけどね)。しかしLC 575は、元旦の起動時には、「あけましておめでとうございます」と挨拶をしてくれる律義なヤツだった。

 インターネットの普及していない時代のPCの楽しみ方は、アプリケーションやユーティリティを色々と使い倒すことが中心だった。この点でもMacは優れていて、世界中のMac好きが作ったフリーソフトウェアが無数に存在していた。そういったCD-ROMを1枚買えば、数百種類ものソフトウェアがまとめて手に入る。もともとポルシェ並みの値段のハードウェアが買える人々がプログラムしたものだから、しゃれていてしかもエスプリが効いたものが多い。なんでもないスクリーンセーバーが、ありえないぐらい笑えたりするのである(「After Dark」のフライングトースターは傑作だった)。

 しかし、なんといっても僕を引きつけたのは、Macの回りに女性がたくさん群れていたことだった。デザイナーのうち半分は女性だし、女性編集者や事務系の社員もなぜかMacの近くに集まってくる。これはその筐体のデザインが優れていたこと(フロッグデザインからの流れで、ひと目でMacと分かるシンプルなデザイン。女性には「かわいい」と映るらしい)と、「これにからんでおいて損はない」という直感がそうさせているようだった。PCがその後、爆発的に普及するのは誰の目にも明らかだったのである。

 大きなムーブメントは、だいたいが不純な動機から始まる。僕は女性にモテたい一心でMacにのめり込んだ。女の子と一緒にショートカットキーを覚えるのは楽しかったし、ハードウェア系のトラブルを解決してあげて感謝されることは、僕の自尊心をくすぐった。ノートン先生を呼んできて消失ファイルを復旧したときは、思い切りハグされたほどだった。

 こうして僕は我が世の春を謳歌(おうか)していたわけだが、程なく世の中は「DOS/V」が注目され始める。PCのシェアで圧倒的多数を占めるDOSの日本語バージョンが開発され、しかもMacライクに使える「Windows」が完成したらしい。ちょうどアップルは倒産さえ噂されるほどの暗黒時代(ジョブスCEOの復活前)だったこともあり、僕は自然な流れでWindows雑誌の撮影も始めた。

 ところが、だ。この初期のWindowsは、Mac方面から移住した者には耐え難いものだった。フォントが汚い、画面がどす黒い(ガンマが2.2なので)、操作を間違えると「不正な処理を…」などと高圧的にしかられる、処理が終わるのを待っている間、なぜそこで小太鼓を叩いているのか、何かと腹が立つ……。

 まだこれぐらいのことは、システムが発展途上ということで我慢できた。本当に絶望的だったのは、Windowsの世界に女性がほとんどいなかったことである。編集部のデスク上にはマザーボードやグラフィックスカードが散乱し、HDDがカリカリと音を立て、殺伐とした空気が充満している。ディスプレイには常にベンチマークソフトが走り、そのデスク周辺には精根尽きはてた汗臭い男たちが雑魚寝している。そして時々、ボスの怒号が聞こえ、緊張が走る。これが日常だった。ほんの少数存在した女性たちは、あまり一般的でない、変わり者が多かった。

 好きも嫌いもない。Windows 95の発売とともに仕事はそちら一辺倒になって、僕はWindowsの大きなうねりの中に飲み込まれていった。

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球体関節人形制作:Waki Yano

やっと見えた、一筋の光明

 あのビル・ゲイツ氏が作り上げたものである以上、もともとWindowsはあまり女性向きではないように思う。理詰めすぎてセンスに欠けるところがあるからだ。それでも、Windowsは長い時間をかけてそれなりに進化を遂げてきた。そして、あの汗臭かったヲタクたちも、今では見た目は小ぎれいになっている。

 15年のときを経て、WindowsマシンはMacになりえたのか? 僕が経験したように、女性が自然に集まってくる存在になったのか? といえば、答えは否、である。

 PCメーカーも、カラフルな色使いをしたり、キティちゃんなどのキャラクターモデルを作ったりと女性向けのマシンを意識してはいる。しかしそれは、例えばNHKがお笑いタレントを起用して番組を作り、「けっこうトレンドをつかんでいるんだよね」と自負しているような気持ち悪さを感じるものが多く、お世辞にも成功しているとはいいがたいのである。


 Windows 7の時代になり、大学生の娘にモバイルPCを買うことになった。あまり期待もせずに機種を選んだのだが、日本ヒューレット・パッカードの「HP Mini 110“canna”」が意外に完成度が高い。安いNetbookだと軽く見ていたが、そのデザインと作りこみには脱帽だ。

 その前身として2009年に発売された「HP Mini 1000 Vivienne Tam Edition」も悪くなかったが、僕はこの“canna”の方が好きだ。この薄紅藤(うすべにふじ)という日本古来の色にセンスを感じる。「女性はピンクでしょ」という短絡的な思考をひとひねりしてあるところが深い。

 日本HPが、液晶ディスプレイ天面のデザインに力を入れ始めてからかなりの時間がたつ。それは一過性のものではなく、本気で毎回完成度を上げているのがすごいところだ。たぶん今後、女性にアピールしていくPCを作れるのはこの会社なんだと思う。

 時代が変わればPCも変わっていく。女性が取り込めればまた新しいムーブメントが起こるだろう。僕はもう一度、あの楽しかった時代に戻りたいのだ。

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