アップル流イノベーションが大きく花開いた2010年(前編)フィル・シラー氏に聞く(2/2 ページ)

» 2010年12月09日 12時28分 公開
[林信行,ITmedia]
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企業導入が加速するiPad

2010年1月のAppleスペシャルイベントで発表された「iPad」

―― iPadの発表からまもなく11カ月目、米国での発売から8カ月目を迎えます。この商品、最初は電子書籍端末と見ている人や、ただの大きなiPod touchと見ている人が多かったようですが、その後はiPhoneにはなかった新しい流れを作り出したと思います。このあたりを含めて、製品のコンセプトをもう1度振り返っていただけますか。

シラー iPadは新しい商品カテゴリを生み出しました。一時はよく「アップルはNetbookを作らないのか」と聞かれましたが、我々はNetbookが重要な商品カテゴリになることはないだろうと思っていました。

 なぜなら、Netbookはしょせん、ただの安売りノートPCに過ぎないからです。我々はそうではなく、スマートフォンとPCの中間的な商品が必要だと思っていました。これは値段やサイズの話をしているのではありません。そうではなく、スマートフォンやPCではそれほどうまくいっていなかった新しい使い道を創出する、そんな新カテゴリの商品が必要だと考えていたのです。

 スマートフォンやPCと比べて、使い道が多いか少ないかではなく、これまでにない新しい使い道を生み出すことを狙ったのです。これがiPad誕生の背景にある根底の考えですが、実際に商品を出してみると、この考え方は非常に正しいことが分かりました。

iPhoneとMacBookの間を埋めるデバイスとして、Netbookという選択肢を改めて否定し、iPadを紹介するスティーブ・ジョブズCEO

 すでにiPad専用アプリケーションだけでも4万本近くありますが、それらのアプリケーションの多くは、これまでになかった新しい使い方を提案してくれています。また、これまでほかのカテゴリ製品でもできていたように見える電子メールの利用やWebブラウジングにしても、iPadを使うことで体験がかなり変わりました。

 多くの人は、それをスマートフォンやノートPCでの体験よりもよいものだと思ってくれています。これこそがiPadが新しい商品カテゴリを生み出せたという証拠になると思います。

―― 1月にiPadを発表したとき、スティーブ・ジョブズCEOは、iPadがメール、Web、音楽、写真、ビデオ、ゲーム、電子書籍の7つのライフスタイルで秀でた製品になると言っていましたが、現在では、さらに広い使い道において秀でた存在になった、ということですね。

シラー iPadの上では、日々、新しい使い道や、場合によっては市場までもが創出されています。先ほどお見せしたAirPlayのような機能もその好例でしょう。

―― 私はiPad関連の講演をする機会が多いのですが、そうした講演の多くはiPadのビジネス利用についてのものです。ジョブズCEOは、9月ごろに行った決算発表で「アップルはiPadの法人利用について、まだそれほど売り込みをかけていないにもかかわらず、企業の側が我々の手からiPadを奪って、どんどん新しい活用方法を生み出している」とコメントしていました。今回、法人向けの機能が充実したiOS 4.2.1で、アップルもiPadの法人利用に本腰を入れるのでしょうか?

シラー 面白いことに、iPadはこれまでアップルが出してきた数々の製品の中で、最も企業導入のペースが速い製品なのです。実際、アメリカのFORTUNE 500に選ばれているトップ企業の多くも、ただiPadの利用を承認したというレベルではなく、すでに導入と活用を始めています。

 iOS 4.2.1は、確かにiPadの法人利用に向けて、重要な一歩になってはいますが、我々が万全な体制を整え、本格的にiPadを企業に売り込むペースよりも、実際に企業がiPadを導入するペースのほうがはるかに速くて追いつけていないところはあるかもしれません。

 もっとも、これだけ導入ペースが速いのは、そもそもiOSの中にセキュリティ機能やExchange対応、リモートワイプといった、企業導入で必要な基本機能があらかじめそろっているからだと思うところもあります。

―― 「iPadを探す機能」の無償提供は、今後日本での企業導入をさらに押し進めそうですね。日本では電車のあみだなに置き忘れたノートPCから個人情報が漏れる、といった事件がいくつか大々的に報道されたせいで、企業は過敏になりすぎてしまい、「ビジネスに機動性とスピード感をもたらす」というモバイル機器導入の本来の目的を忘れ、せっかくの導入した社員向けノートPCを持ち出せないように、会社のデスクに縛りつけてしまっている企業もたくさんあります。「iPadを探す機能」と「リモートワイプ」機能は、「紛失しても安心なモバイル」というカタチで多くの企業が注目しています。

iPad/iPhoneが形成し始めたポストPCの世界

―― ところで、iPadの購入を検討している人の中には、なぜ、PCなしで利用できないのかと疑問に感じている人も大勢います。すでに単体でも非常に高い実用性を持つiPhone、iPadだけに、余計そう思う人が多いと思うのですが、これはなぜでしょう?

シラー まず、今日iPhoneやiPadを購入するほとんどの人が、すでにPCを持っている、という大前提があります。彼らがこれらの機器をPCにつなげば、連絡先や予定、電子メールやWebブラウザの設定、音楽や動画のコンテンツといったさまざまなパーソナルな情報を、たった1度の同期でiPhoneやiPadに移すことができます。

 それと同時に、この同期操作で、自動的にデバイス内の情報のバックアップを取ることもできます。これらの情報やコンテンツをiOS機器単体で1から設定し、情報をダウンロードしてそろえるというのは、多くの人にとってかえって手間がかかってしまうのです。

―― 要するに、アップルはまだPCが「デジタルハブ」だと考えている、ということでしょうか?(ここでいうデジタルハブは、PCがデジタルカメラや音楽プレーヤーといったデジタル機器の設定や連携を実現する中枢になるという考え方を指す。アップルが2001年に発表した)。

シラー 我々は今となっては「デジタルハブ」という言い方をしていません。それに最近ではiPadやiPhoneを使っている時間のほうが、PCを使っている時間よりも長くなる人たちも増え始めており、PCを「中枢」と呼ぶことには語弊があるかもしれません。ただし、PCを経由するというアプローチは、今でもiPadやiPhoneに情報を移すうえで、最も簡単な方法だと思っています。

―― PCよりiPadを使う時間が増えてきた、という話がでましたが、今年のAll Things Digital会議でも、スティーブ・ジョブズCEOが「PCはトラックのような存在になってしまい、人々はあまり使わなくなってしまった」と、これからはiPhoneやiPadのようなポストPC機器が中心になる旨の発言をしていました。

 その時点では私もこれに同意していたのですが、その後、アップルはMacBook Airという、PCの再発明とでも呼べるような新規性に満ちたノートPCを出してきて、再び考えが揺らぎ始めてきました。MacBook Airの発表を受けて、これからPCも再びポストPC機器と張り合っていくのでしょうか?

シラー アップルは複数の事業を営んでいます。Macビジネスは、今日でも我々にとって非常に重要です。同様にiPadのビジネスも重要です。もしiPadがモバイルデバイスの未来を作っているのだとしたら、MacBook Airは既存デバイス、つまりノートPCを再発明することで何ができるのかにチャレンジした製品です。

 我々はアップルのノートPCチームに、次世代のノートPCはどうなるかのビジョンをカタチで示せとチャレンジさせました。こうしてできたのがMacBook Airです。市場が求めているのは、もしかしたらこちらのノートPCの未来かもしれないし、あるいはノートPCの枠を超えたモバイルデバイス(=iPad)の未来かもしれません。

―― つまり、どちらにするか市場に選択をゆだねる、ということですか。

シラー もちろん、両方を選んでもらってもいいですけどね(笑)。例えば、大学の論文を書いているときだったら、iPadよりもPCを使いたくなるでしょう。もし、あなたが世界をまたにかけて移動中で、その合間に電子メールを確認したり、ゲームをプレイしたければiPadがお似合いでしょう。いずれにせよ重要なのは、MacBook AirはノートPCという製品カテゴリ内での未来なのに対し、iPadはPCの枠を超えた領域での未来を目指した製品だということです。

―― iPadの話に戻りますが、iPadで1つ心配なのは、今のiPadの利用はアプリケーション単位で作業が分断してしまうところがある点です。1つのアプリケーションで作った書類を、ほかのアプリケーションにうまく引き渡して何かをする、といったことがなかなかできず、それがPC慣れした人にとってもどかしさも生んでしまうのではないかと懸念しているのですが。

シラー 我々もそうしたことについてはいろいろと考えを巡らせてきました。iOS 4.2.1で実現したマルチタスク機能は、アプリケーション間の連携をもう少しスムーズにしてくれたと思います。

 私自身、iPadで書きかけていた文章をコピーしてメールに貼り付けたり、その途中でWebブラウザに切り替えて、見つけた情報の一部をコピーして、それをまた電子メールに貼り付けて引用したり、といったことを頻繁に行うようになりました。新OSによってアプリケーションの間を行ったり来たりすることが簡単になったことで、こうした連携はずっとやりやすくなったと思います。

 もちろん、書類の扱いがアプリケーション単位で分断されてしまっていて、ちょっともどかしく感じる部分はあるかもしれません。しかし、iPhoneやiPadといったポストPCのデバイスを作るときに、我々がまず重要だと考えたのは、Finderのようなファイル管理システムは作らないようにする、ということでした。

 PCの操作を非常に難しくしている一要因が、こうしたファイルの概念やその整理です。このため、ポストPC機器ではそれをなくして、書類というものをアプリケーションと一体化させようと考えたわけです。前に作業をしていたアプリケーションを起動すれば、書類がそのアプリケーションの一部としてすぐに引き出せる、という世界観です。

 電子メールは電子メールのアプリケーションを開けば出てくる。写真は「写真」アプリケーション、Pagesの書類はPages、Keynoteの書類はKeynoteのアプリケーションを開けば自動的に整理されて一覧表示されます。これがとりあえず今、我々がポストPC機器で目指している体験であり、これはファイルやフォルダがあちらこちらに散乱した、これまでのPCとはまったく違った体験になっていると思います。

 もちろん、ポストPC機器の体験を描く作業は、まだ完成形にはほど遠いものでしょう。ただ、我々はある程度意図して、よく考えたうえで、そういう体験をデザインしている部分があります。iPadを使われる方々も、そうでない場合の体験、本当にPCと同じファイルやフォルダが散乱しやすい状態が理想なのかを、真剣に考えていただければと思います。

 少し視点を変えてみると、企業でのIT機器導入において大変なことの1つに社員たちのサポートがあります。多くの企業のIT部門では、頻繁に「ファイルがどこに保存されたか分からない」といったサポート電話に悩まされていると思います。でも、これがiPadのような書類整理方法では起きにくいと我々は思っています。それによるサポートのコストも変わるでしょう。

―― iPadに関してもう1つ面白いのが、多くの企業でiPadの導入が、トップからの命令で決まっているらしいということです。これまで企業のIT部門やシステムインテグレーターが、しっかりと企業用の環境を作ってしまっていました。そういう人たちが新たに仕事を増やしたくないと思っている企業では、社員が望もうともMacなどが入り込む余地はありませんでした。

 ところが、iPadに関しては、これまでのPCとはまるで違う新しいもので、勢いもある。おまけにITが苦手な人にも使いやすい、ということで企業の重役たちが率先して「これをうちの企業で導入したい」と言い出す。それによってIT部門も動かざるを得なくなる、というパターンが増えている印象があります。

シラー その現象は日本だけでなく、世界レベルで起きているものだと思います。多くの経営陣が、自宅で家族がiPadを使っている姿を見て、これは自分の会社でも一気に利用が広まりそうだと直感し、トップダウンで採用を決めるという動きです。

―― 私はよく自分の講演で、「iPadは鏡のような存在だ」と話しています。どういうことかというと、多くの人はiPadのシンプルな形状に、21世紀の自分のあるべき姿を投影して見ているのです。

 例えば、向谷実さんという有名なキーボーディストがいるのですが、彼はミュージシャンなので、iPadを見ると“これは楽器だ”と思い、実際に曲を演奏したり、思いついたメロディを試したりするのに使っています。一方で、神戸大学の杉本真樹先生は医者なので、iPadを“手術の道具”と見て、実際に手術室に持ち込み、患部の近くにおいて医療画像の確認を行っています。かと思うと、京都の「徳」という焼き肉屋さんでは、大阪のファインフーズという会社の技術を使ってiPadを“メニュー”に使っています。

 まったく同じiPadという1つの製品が、見る人によってさまざまな新しい可能性を見せている、ということです。

シラー その「鏡」の例えには、私も同意する部分があります。iPadではアプリケーションは、iPad本体の大部分を占める大きな画面を埋め尽くす形で、フルスクリーン実行されます。つまり、iPadでアプリケーションを起動すると、iPadは起動したアプリケーションが作りだす世界そのものに変ぼうするのです。これはiPhoneでも共通していますが、我々がとても気を配っている部分です。

 もう1つ、重要な要素はマルチタッチによる操作で、これがより深い親密さや機器とユーザーとのパーソナルな関係を生み出すのです。

 これら2つの要素によって、iPadは一瞬にして、我々がしようと思っている「用途」を実体化したものに変化する印象を生み出しており、それがその「鏡」という考えにもつながっているのだと思います。

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